発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

青木が大学に行けなくなった3つの理由 まる

 

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大学受験も後半に入ってきました。

いろいろな方から、相談を受けます。

 

 

それで、今回は高校で不登校気味だったお子さんの大学進学に関してのアドバイスをしたいと思います。

 

 

以下は、いずれも大学進学後に再び大学に行けなくなる不安を感じているご両親へのアドバイスです。

当団体代表の青木の経験をもとにお話しします。

 

 

1、一人での下宿は難しい。

 

特にゴミ出しと戸締りが大変でした。

他にも、洗濯、炊事、掃除、各種支払い(親の通帳からの引き落とし以外にも時々支払いが必要になります。)初めてのことで戸惑うことばかりでした。

 

 

わけがわかりませんでした。

 

 

2、履習届の作成が難しい。

青木は履修届けが作成できませんでした。

それ以前に入学式に怖くて行けませんでしたので、各種オリエンテーションに参加していませんし、また、履修届けの用紙も手に入れていませんでした。

 

 

大学は自分で動かないといけません。

それすら随分あとになって青木は理解したのです。

ですから、最初でつまづいてしまったのです。

 

 

3、授業の受け方がわからなかった。

それでも、青木は考えて学生課に助けを求め、手伝ってもらい、中途半端に履修届けを出しました。

 

 

(学生課では、「こんなのは、君だけだ!」とひどく怒られました。

授業はすでに始まっていましたが、なんとか受け付けてもらえました。)

 

 

後でわかったことですが、1年次に必修の科目を取っていませんでしたので、4年間で卒業することがてきないことが1年時にはっきりとしました。

 

 

そのことで、通学する気力が萎えてしまったそうです。

 

 

また、青木は不安がとても強く、人に挟まれるのがとても苦手です。

ですから席はいつも端でないとダメなのです。

 

 

また、前列ですと後ろから覗かれるという不安を感じますので、一番後ろの端でないと安心できません。

 

 

その席を確保するために、前の授業が終わったら、次の授業の教室に全速力で走っていくことが常だったそうです。

 

 

それでも間に合わずに、端の席が取れない時には、その授業をあきらめてしまいます。

 

 

 

ある時はせっかく良い席を取って授業の開始を待っていたのに、誰も来ません。

 

 

休講ということに気づいたのですが、教室にいたのは自分だけです。

わけがわかりません。

 

清掃のおばさんが来て、「この時間帯は授業ないよ。」と教えてくれたのです。

 

 

「どうしたら、それがわかりますか」

「毎日掲示板を見んとあかんわね。」と教えてくれたそうです。

 

 

これは青木が感じた大学生活での大変さのほんの一部です。

人によって、不安に感じることは様々です。

しかし、私たちは30年間の支援の中で、多くの青少年から、その大変さを教えてもらいました。

 

 

明日もまた続きを書いていきたいです。

 

 

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