発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

日本へ帰国します。そして・・・・。エイジ

3泊4日日本の旅。墓参り、銀行、市役所、日本食材買い出しの旅

 

入国管理事務所から今月内にフィリピンから1度出ることを約束させられました。

それで日本行きの旅券を購入して、そのコピーを入国管理事務所に提出しました。

1人で帰国すると、空港の入国管理ブースで一悶着あるのではと心配した青木さんが、同行してくれることになりました。

 

 

日本に帰国します。

今回は入国管理事務所からの命令ですが、合わせて私のビジネスの準備を日本でします。

と言いましても、滞在はわずか数日ですので、日本の銀行に行って手続きをすることで精一杯です。

 

 

もちろん父親の墓前に手を合わせてきます。

私が自立した姿を見せることはできませんでしたが、長い間、私のことを心配してくれ続けた父の魂に「これからの私の姿を見ていてください。」と語りかけたいのです。

 

 

 

本当に青木さんには、ご迷惑ばかりかけています。

22日に小さな食堂がオープンの予定でしたが、延期せざるをえなくなりました。

 

 

私の今回のことで2週間遅れてしまいました。

ですから、3月8日のオープン予定です。

本当にごめんなさいと謝るしかないです。

 

 

そして3月からシャルガオ島に来る予定の方達も日程を変更していただきました。

まだチケットを購入する前でしたので、ご迷惑は最小限度に抑えられました。

しかし、申し訳ありませんでした。

 

 

 

「周りの助けを借りなさい。」と何度も教えられてきました。

でも、差し出してくれたその手を握ったら、支援者もろとも泥沼に再び落ちてしまうのではと心配しています。

 

 

青木さんにそのことを伝えたら、「ありがとう。でも一緒に沈むことはないよ。みんな強いし、あなたの様なケースをたくさん支援してきているから大丈夫です。」と励ましてくれました。

 

 

いよいよ、私の新しい挑戦が始まります。

当初の小学校でのボランティア、飲食店への食材のデリバリーという仕事から、全く違う仕事〈居酒屋〉に変更となりました。

 

 

私の気持ちが高まってきました。

やってやるという強い思いが湧き起こっています。

 

 

これが最初で最後の私の挑戦なのです。

この様に皆様にシェアーしていきますので、どうぞ関心を持って見守ってください。

 

 

「30年間ひきこもっていても幸せになれますか?」

これは青木さんに対して私が10年前に最初にした質問です。

青木さんは言いました。

「一緒に幸せになれるように努力しよう。」と。

 

 

でも私への支援がどれだけ大変なことなのかは、このブログを読んでいただけたらご理解していただけると思います。

 

私もつい最近までそのことに気づきませんでした。

あり得ない!!

そうなんです。

そう思いますよね。

 

 

青木さんはよく言います。

「自分で理解していれば支援はいらないよね。」と。

 

 

 

程度の悪いアスペな俺〉にはこれほどまでの支援がなければ自立なんておぼつかないということなんです。

 

 

幸せになりたいのです。

1人はもう嫌なのです。

幸せになります。

 

 

私が幸せになったら、きっと他の人はもっと短い時間で幸せになれると思いませんか。

こんな、どうしようもない障害を持った50代の男でも幸せになれたんです。と言いたいのです。

 

 

やるしかない。

 

 

 

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