発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

僕の母はカサンドラ症候群?テル

 

 

カサンドラ症候群という言葉を見つけて、色々と調べていたら、それは僕の両親の関係だということを感じたのです。

 

 

僕の父親は、休みの日にはいつも1人で趣味に没頭していました。

日本の歴史が好きなんです。

書斎には数多くの歴史物の書物が飾られていました。

 

 

休みの日には、前の晩からリュックに色々なものを詰めて、歴史探検ツアー(母親がそう言っていました。)に備えていました。

時には、鼻歌混じりで用意していた光景を思い出します。

 

 

 

当日は、まだ他の人が寝ていることには一切の配慮がないほどの大きな音で早朝に玄関の開け閉めをします。

 

 

 

そして探検ツアー中には、家からの電話には出ません。

緊急の時には、メールで「電話に出てください。」と父に打ちます。

そうしますとめんどくさそうな声で、「なんですか?」と電話をしてきます。

 

 

また、父親が病気になって熱が出たりすると「薬を買ってきてほしい。」とか「マッサージをしてほしい。」とか一方的に父親の方から母親に色々と要求してくるのです。

 

 

父親からは、僕たち家族へのアテンションはほぼなかったです。

 

 

そんな関係を母親はいつも愚痴っていました。

母は母で色々と努力をしていたみたいです。

多分、自分のせいで父親はこんな態度を取るのだろうと思っていたと思います。

 

 

そんなこんなで母親は、鬱の様な状況になっていき、精神科にも通って薬を服用していました。

 

 

ある時、外出から帰ってきて、部屋で何かゴソゴソしていたと思ったら、メイクをめちゃくちゃに決めていた母親がそこにはいました。

服も今まで見たことのない服を着ていました。

 

 

 

子どもの僕に「お母さん綺麗?」と聞いたのをはっきりと覚えています。

 

 

 

今思うと、母は母なりになんとか父親と情緒的な交わりをしたい一心だったのでしょうね。

まあ、僕の問題が大きくなってきたことで、父と母が共通の話題を持ち、以前と比べて色々と話し合うことができたと母親が最近僕に言っていました。

 

 

その後母親は、父との関係を諦めて、お友達と外に出歩く生活をするようになったのです。

主に、主婦仲間での夫に対する愚痴を言い合う様な会でしょうね。

 

 

で、僕はエイジさんや東大さんと身近に接していて、彼らに自分の父親と同じものを感じたのです。

それは僕にとって大きな出会いでもあったのです。

初めて自分の父親のことを少しは理解ができたと感じたからです。

 

 

明日に続きます。

 

 

 

 

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