発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

父はASD?母はADHD? テル

 

 

 

 

僕の母親はとにかく落ち着きがない人です。

そして次から次へと思いついたことを実践していく人です。

 

 

僕が不登校になった時には、フリースクール、居場所、学習塾などなど徹底的に探し出しました。

探しただけではなく、実際に支援の現場を見させてもらったり、担当者との面談もおこなっていました。

 

 

その他にも、発達障害に効くビタミンや栄養を研究して、講演会にもよく足を伸ばしていました。

また方位学や心理学、色彩学などにも関心を持ち勉強をしていました。

 

 

不登校に効果があるからと、押し付けられていた僕です。

勝手に部屋を追い出されて、部屋の壁紙を効果がある色に変えたり、お風呂の位置が悪いということで、作り直したりもしていました。

 

 

まあ、どれも僕にはなんら効果がなかったのですけれどね。

僕の話なんか何も聞かずに、不登校に良いからと一方的に押し付けてきた母親なんです。

 

 

あれだけこだわっていた栄養学や方位学、色彩学も今はなんら興味を示していないみたいです。

でも今でも言いますよ。

「青木さんがもっと方位学や色彩学を使って支援をしたら、効果はもっと大きく早くでるのに残念だ。」って。

 

 

 

本当に母が振り回して申し訳ありませんでした。

 

 

 

その一方、父親は僕に関して、興味がないような態度でした。

もちろん子どもの僕に対して、学習塾に行きたければ、行かせてやるからと言ってくれたり、私立の小学校や中学校に転校することもできるからといってくれるほどの優しさは持っていた父です。

 

 

 

しかし、僕が抱える問題に関心を示して、父なりの思いやアドバイスをくれたりするようなことはありませんでした。

 

 

 

父は1人が好きなんです。

会社が休みの日には、1人で書斎に閉じこもり、いつも歴史物の書物を読んでいたり、古い大河ドラマを見ていたりもしていました。

 

 

父親にどこかに連れて行ってもらった記憶はありません。

食卓では、母親がいつも一方的に話すんです。

父はいつも新聞を読んだり、会社の書類に目を通したりしながら食事をとっていました。

 

 

友達もいませんね。

いつも会社から帰ってくるのは同じ時間です。

会社仲間と飲みに行ったりすることも、会社での旅行になんかも色々と理由をつけて避けていました。

 

 

家の中と外の世界でも同じなのが僕の父親なのです。

いったい父親は生きていて楽しいのだろうか?

父親が死ぬ前に一度聞いてみたいと思っている僕です。

 

 

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