発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

両親への最高の親孝行。30年間ひきこもったASDなエイジ

 

 

 

父の容態が落ち着きました。

日本への帰国の準備をしている最中に、父親の容態が落ち着いたとの連絡が日本から入りました。

 

 

それで、私の家族と色々と話し合った結果、日本への帰国はしないことになりました。

すでに父親は2年程前より認知症を患っており、私のことを認識することができなくなっています。

 

 

私は、今年の2月に日本からフィリピンに移りました。

今後の人生をフィリピンで過ごす準備の為です。

渡比前に、両親に面と向かって挨拶をしました。

 

 

青木さんからは、きちんと両親に挨拶をする様にと言われていましたが、もちろん私自身、言われるまでもなくそのつもりでした。

 

 

母親には、「無理しなくてもいいからな、ダメだと思ったら、いつでも帰っておいでよ。ここはお前のうちなんだから、なんも遠慮しなくてもいいからな。」と言われました。

以前の私なら、母親のその言葉を聞いたら反発していたでしょう。

 

 

でも今年の2月には素直に母親の言葉に耳を傾けられました。

父親にも挨拶をしました。

しかし、反応はありませんでした。

 

 

最後の別れだと思って父親の顔をしっかりと見ました。

「お父さん、ごめんね。こんな息子で・・・」涙が出て最後までしっかりと言えませんでした。

 

 

母親が私の背中を優しくさすってくれました。

「昔のことはもういいんだよ。これからエイジは幸せになるんだから。お母さんと約束だよ。」

 

 

 

今思い出して文章を書いていても涙が出てきます。

 

 

私は青木さんに「日本に帰りません。」と報告しました。

青木さんは「本当に帰らなくても良いの?練習中断しても大丈夫なんだよ。」と何度も聞いてくれました。

 

 

私の決意が強いことを知り、「これからだって親孝行はできるんだよ。まだ大丈夫。その為にはどうすればいいのですか?」と青木さんは私に聞いてきました。

 

 

「私が1人でも生きていけるように。できたら家庭を持てるように。そんな私の姿を母親が見たら、安心すると思います。」

 

 

「それがここフイリピンでのあなたのやるべきことなんだね。」

「その目標目指して一緒に頑張りましょう。」

 

 

何がなんでも自立した姿を母親と父親に見せたい。

それは私自身が一つの区切りをつける意味でも、とても大切なことなんです。

自立して、幸せになったらこう思いたいです。

 

「とても辛い人生だったけれど、それらはもう過去のことになった。私は今、生まれてきたことを心から喜ぶことができている。」

 

 

必ずそう思いたい。

私の人生なんだから。

 

 

 

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