発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

東大の研究室で何が起こったのか?東大卒30年ひきこもったASDな僕

日本人のお客さんを見なくなりました。2割近く高くなり僕たちも気軽にいけないです

 

 

僕は東京大学大学院の研究室仲間から距離を置かれ、大学に通えなくなりました。

彼らの言い分は、簡単にいうと僕が研究の邪魔になるということでした。

協調性がないとか、コミニュケーションが取れないとか・・・・。

 

 

言いたい放題でした。

彼らは僕に対してその根拠を示しましたが、僕は納得ができなかったです。

かといって、反論すらできませんでした。

 

 

 

病院で1度検査を受けたほうが良いと担当教授からも言われました。

それで病院にかかりましたら、発達障害とかなんとかと診断されました。

色々と担当医から言われたのですが、「なんだそれ?」という感じで聞いていました。

 

 

結論から言うと、みんなと協調しておこなう仕事は僕には向いていない。

自分1人でマイペースでできる仕事が良いのではないかと言われました。

 

 

まあ、その当時は1部の医療従事者しか、発達障害についての知識がなかったのでそんな言い方しかできなかったのかもしれません。

 

 

それで、結論としては、「研究を休んで、気分転換しなさい。それから今後のことについて、担当教授と話し合いなさい。」でした。

 

その指示に従い、僕は1年近く研究室に通うことを休みました。

その後、頭の中の混乱が少しおさまってから、研究室に通いましたら、僕のポジションが変えられていました。

 

 

研究室での花形とでもいうような立場から、あまり必要のない部署に変えられていたのです。

それは僕にとって大きなショックでした。

 

 

しかし、僕はそのことに対して反論することもできずに、教授からの「なんとか単位を認定してあげるから。」の言葉を信じて、教授の指示に従っていました。

 

 

そんな過去が僕にはあったのです。

大学院を出ても、「こんな状況だから、君を就職で企業に推薦することはできない、」と言われたことで、なんの為に僕は東大まで来たのか?もう全てがダメだ。」そう感じて、それから30年近くひきこもってしまいました。

 

 

 

途中では、家庭教師や公務員試験の受験も考えたのですが・・・・。

家から外に出て人に会うことがとても怖くなったのです。

 

 

「東大まで、いや東大の大学院まで行ったのに、無職かよ。アルバイトすらできない人間。

そんな人間は、この世に存在してはいけないんだ。」

 

 

家から外に出ると、多くの人たちが僕にそんな思いを抱くに違いない。

もしかしたら、殴られたり唾を吐かれたり・・・。

 

 

とても怖くて家から出ることができませんでした。

ほんの8年前までの出来事です。

 

 

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