発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

物価高騰のフィリピンで生きていく。エイジ

 

 

どうも。私です。

30年間、家にひきこもり続けた男です。

 

 

まだ生きていたのか?

てっきり日本に帰国したとお思いの皆様、

ご期待に添えずに申し訳ありません。

 

 

私まだこのフィリピンにしがみついております。

物価高騰の折、円安も大変なことになっております。

フィリピンという国は、年金で生活していくことができない国になってしまったのです。

 

 

それどころか、このままでは、近い将来、日本から多くの人たちが海外に出稼ぎに出なくてはいけなくなる現実が出てくると危惧している私です。

 

 

でも、私は日本には帰れません。

私は日本では生きていけないのです。

 

 

30年ぶりに社会に出た私ですが、コンビニに行っても、電車で支援センターに通っていても、周りから、いじめを受ける日々でした。

 

 

私は、背中がとても曲がっています。

歩く様子はゾンビのようです。

そんな私ですから、周りが気持ち悪がって攻撃してくるのは理解しています。

 

 

でも、とても悲しいです。

私は日本に居てはいけないのかって?

 

 

海外に出て行くときはとても心配しました。

海外でも私に対してのいじめはあるだろうと思っていましたから。

 

 

でもそれは違いました。

とても違ったのです。

 

 

体の不自由な子どもがストレッチャーで大きなモールに家族と一緒に買い物に来ていました。

行き交う人たちが、その子どもに笑顔を向けていました。

 

 

顔に大きなあざがある女性が、とてもおしゃれな街並みで買い物袋を抱えてショッピングをしていました。

私は思わず何度も見返してしまいました。

 

 

たくさんの言語が街に溢れています。

色々な肌の色をした人と街で出逢います。

 

 

支援しているスタッフが私にこう言いました。

「生まれた時から、他人と私は違うっていうことを感じながら育ってきた。

それが当たり前だと思っていた。」

 

 

日本はどうなんでしょうか?

多くのことをみんなと同じであるようにと要求されます。

 

 

支援スタッフの青木さんは、小学校の組体操や集団行動がとても苦手で、みんなと同じようにできなかったそうです。

そのことで、先生から叱責を受けたり、クラスメイトから除け者扱いされたりしたそうです。

 

 

そして学校に行くことが怖くなって、行けなくなりました。

小学生の青木さんはみんなと同じようにはできなかったのです。

 

 

「みんなと同じ様にできなくてもいいんだよ。」

そんな優しさが日本のあちらこちらで見られたら、どんなに素敵でしょうか?

 

 

私は今の日本で、生活できるほど、強い人間ではありません。

このフィリピンで気の合う仲間と残りの人生を楽しく過ごしていきたいです。

 

 

私は、自立することを諦めてはいませんよ。

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