大野隆(おおのたかし)と言います。
61歳です。
私は東大大学院を終了後、30年近くひきこもってしまいました。
53歳で支援団体に繋がりました。
30年もひきこもっていますと日本で社会復帰することはとても難しく、環境を大きく変える必要がありました。
それでこの団体が活動しているフィリピンに移動し、支援を受けました。
私の場合は、支援1年半後に家庭教師の仕事を得て、社会的自立を果たしました。
しかし、それはあくまでも安全地帯に留まっての社会復帰だったのです。
残りの人生を考えたときに、結婚をして家庭を持つ夢を描きました。
その為には収入を大きく増やさなければならないのです。
家庭教師の職では、いずれ生まれて来るであろう子どもを養うことができないのです。
それで、支援スタッフに協力していただき、ゲストハウスをオープンすることにしたのです。
愛するパートナーとの二人三脚で、ゲストハウスを運営していけば家庭を築くことができるのです。
それで、来年の1月中旬の開所を目指して頑張ってきました。
皆様にも支援の呼びかけをしました。
こんな小さな働きにもかかわらず、ご支援もいただきました。
30年ひきこもっていても、60歳になっても人生をやり直せるんだ。
幸せになれるんだ。
そのことを自分の姿を通して、多くのひきこもっている人たちに伝えたいと願っていました。
しかし、12月16日にフィリピン中部を襲った台風の為に私の家は半壊しました。
修理するより、立て直した方が安くつくと業者には言われました。
私の住む島シャルガオ島は今でも、電気と水が止まってしまっています。
飢餓と病気でなくなっていく子どもたちが周りに出てきました。
まさにこの世の終わりのような有り様です。
なんとか島を脱出して、団体のスタッフに連絡を取りました。
私の中にあった希望がなくなってしまいました。
もうだめだ。
ここまで頑張ってきたけど、もう日本に帰るしかないなと考えたのです。
しかし、スタッフの声を聞いて思い直しました。
7年間近くこんな私に寄り添って支援をし続けてくれたスタッフ達です。
ここで、私が人生を諦めたら、今までの支援が全て意味のないものになってしまう。
自分の為だけでなく、応援してくれた全ての人の思いに応える為にも私は諦めない。
諦めたくないという強い思いが湧き起こってきました。
と言いましても、半壊した家に戻ってどこから手をつけたら良いのか、途方にくれている私です。
家に戻り、1人でいますと涙が出てきました。
本当に弱い私です。
でも、台風被害が少ない地区に住むスタッフ達が支援物資を集めてくれています。
空港が再開したらすぐにでも駆けつけると言ってくれています。
やらなあかんな。
やるんだよ。
自分を鼓舞している私です。
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