発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

変わらなければいけない。青木

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      子どもたちを変えてあげてください

 

子どもが小学校に行けなくなった。

数日ならまだしも、1ヶ月も学校を休んでいると、この先学校には行けなくなってしまうのではと親御さんの不安は増します。

 

 

私は小学校3年の時から不登校でした。

登校と不登校を繰り返していました。

不登校の理由は学校が怖かったからです。

 

 

勉強も運動も集団行動もできなかった私は、みんなから避けられるようになっていました。

そして、同級生が私の後頭部にナイフを突き刺したことで、私は数日入院となりました。

 

 

不安になった両親が、小学校4年生になるのに合わせて違う街に引っ越しをし転校しました。

しかし、転校先でもひどいいじめを受けて、入院となります。

 

 

中学校では3年時の2学期から不登校になってしまいました。

1番程度の低い高校に入ったのですが、夏前にひどいいじめを受けて、高校を中退しました。

 

 

その後は1年遅れで、遠い街の高校に入学しました。

しかし、結局不登校は直りませんでした。

 

 

それから6年近くひきこもってしまいます。

なんとか頑張って、社会に出て、1度就職もしましたが、失敗ばかりして、「会社に来なくて良いよ。」と言われて行けなくなってしまいました。

 

 

そんな私が支援に繋がったのです。

 

 

アメリカは良いところだよ。

自由が溢れているんだ。

もう一度やり直せる場所なんだ。」

 

 

そう勧められてアメリカに行きました。

2週間の滞在で、アメリカでならやり直せる。

そう強く感じた私です。

 

 

しかし、お金がありませんでしたので、日本に帰りました。

でも、やり直せると自分自身が感じられたことが、小さな自信となりました。

 

 

アメリカで学び直したいという希望は叶いませんでしたが、その後アメリカ中を旅行したり、中国、香港などに何度も足を運びました。

1人も友達がいなかった私に友達ができたのです。

 

 

そしてこの支援団体で徹底的に、私がどういう人間で、何が苦手で何が得意なのかを教えてもらいました。

また、練習すればできることもある。

練習しても依然として苦手なままなこともある。

 

そんなことを理解できるまでにしてもらったのです。

 

 

私は自信をつけたのです。

もちろん努力をしました。

スタッフが、何をどうすれば良いのかを無駄なく無理なく私に教えてくれたのです。

 

 

小学校からずーっと辛い毎日でした。

何が原因なのか?

どうすれば私の状況が好転するのか何もわからず、同じような日々を過ごすだけでした。

 

 

私は、変わらなければならなかったのです。

そして私は、変わったのです。

 

 

変わってからは、同じような辛さを感じている人たちの役に立ちたいと支援者になったのです。

 

 

 

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