発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

みんなと同じにできない悲しさ。青木

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僕は幼稚園の時から、登校しぶりだった。

今、考えたら、みんなと同じことをすることがとても苦手だった。

お遊戯だってみんなはできるのに僕はできなかった。

できないと、先生から叱られる。

 

 

キリスト教主義の幼稚園だったから、降誕劇が毎年行われていた。

僕は背が高くて、大きな声をあげたりする子どもだったので、目立っていた。

それで確か東方の3博士の役をもらった。

 

 

 

劇はとても緩やかに進むので、それに合わせるのがとても辛かった。

「博士はそんなに早く歩かない。」と何度も注意されたが、その指示に従えなかった。

僕はじっとしていることがとても苦手な子どもだったから。

 

 

それで、博士から木の役に変わった。

木の役なんてもっと大変なのに・・・。

結局、木の役も下ろされて台詞を一言、言うだけになった。

 

 

小学校の時は運動会がとても苦手だった。

集団行動ができなかった。

「全体止まれ!!1、2、3。」が僕は「4、5、6」と続いてしまう。

 

 

「おい、2年生のそうだ、お前だ、前に出てこい。」と怖い顔をした体育教師に呼び出されて、全校生徒の目の前で、ビンタを食う。

 

 

元の位置に戻って全体練習が再開されて、また僕は間違ってしまう。

小学校2年、3年と運動会の練習があるたびに僕は怖さで手が震えていたことを思い出す。

もうすぐ、60歳になる。

 

 

今でも小学校の運動会の場面を思い出す。

車を運転していて信号待ちをしている時。

飛行機のシートを倒して横になろうとしている時。

スーパーで買い物をしている時。

 

 

ふと昔の嫌な思い出を思い出す。

あれから50年近くたつと言うのに・・・。

 

 

でも感謝なことなのだ。

同じような思いをしている子どもたちのことが、少しは受け止められることができるから。

 

 

でも、できたら忘れ去りたい出来事なのです。

あの場面を思い出すと、やはり強い不安を今でも感じてしまうから。

 

 

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