発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

強いマイルールが支援を受け付けなくする。東大卒30年ひきこもったASDな大野

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   出迎えに来てくれたヒロさんとダバオ空港にて2017年

 

 

〈一新〉します。

何もかもを変えてしまいたいのです。

古い自分をぶち壊して、新しい自分になる。

 

 

 

もちろん、私が抱えている特性がなくなるわけではありません。

さまざまな体験を通して、私のおかしさが薄まるということなのです。

 

 

 

確かに7年前に30年のひきこもりから解放されました。

その時に、私は大きく変わったのです。

心から嬉しかったです。

 

 

 

しかし、今考えるならばさらに大きく変われる余地がありながら、変わることに対する不安があって、更なる成長を求めなかった私です。

 

 

 

それがどうして、何もかも変えてしまうと決断できたのか?

 

 

結婚を考えたからです。

結婚を考えなかったら、ひきこもりから回復したままだったと思います。

ひきこもりから回復できたことだけで満足していたのです。

 

 

 

しかし、さらに変わりたいという動機である結婚を考えた時に、今のままでは到底結婚なんかできないとわかったのです。

現実の自分の状況をはっきりと突きつけられたのです。

 

 

そんなダメな自分でも、さらに大きく変われると気づいたのは、恥ずかしながら支援している青年たちの変わっていく姿をこれでもかと見せられたからです。

 

 

 

中には大変な支援の青年もいました。

そんな青年たちに、個別でその人にあったオーダーメイドの支援を徹底的に続ければ、時間はかかりますが、彼らは変わっていったのです。

 

 

しかし、そんな青年たちと比べても自分には大きな問題がありました。

それは、60という年齢です。

もうすでに仕事もリタイアして、余生を過ごしている年代です。

 

 

それなのに60歳の今から結婚を考える。

結婚するために、何から何まで変えていく必要がある。

 

 

流石にこの団体の支援スタッフでも、そんなことは不可能に近いのではないかと思いました。

それで、結婚を考えてもそのことをスタッフたちに共有はできなかったのです。

断られることが怖かったからです。

 

 

しかし、私のそんな思いを見透かしたように、青木たちは私を婚活にまで導いてくれました。

 

 

この人たちを信じよう。

信じて従うしか他に道がないということもありました。

ですから、私は大きな決断をすることができたのです。

 

 

しかし、婚活に入ってもどこかで逃げ道を作っていた私です。

私の中の強いマイルールが、スタッフたちの支援を素直に受け付けない状況も依然としてあったのです。

 

 

「そうは言っても、そのアドバイスには納得がいかない。」口にこそ出して言いませんでしたが、私の態度でわかってしまいます。

 

 

続きは明日書きます。

 

 

 

 

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