発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年ひきこもった私が頑張れる理由 A回復日記20210822

 

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私は30年間、誰とも話をしていません。

 

 

 

正確に言いますと、「風呂沸いたよ。」と母親が言えば「はい。」とは言っていました。

いつからか「おお」になり、やがて手をあげるだけで何も返事をしなくなりました。

その程度です。

 

 

 

ひきこもってからは、「誰かと話をしているような会話を聞くことが時々あった。」と青木さんが母親から聞いたと言っていました。

 

 

 

まあ、私はできないことがいっぱいあるんですよ。

10代でしたらいいのかもしれませんが、私は50代ですからね。

 

 

まあ、あのまま社会に出たとしたら、周りから変に思われていたでしょうね。

社会に出ることなんて怖くてできないけれど。

 

 

 

「だから練習をしましょう。」と青木さんから言われたけれど、正直やる気なんてなかったです。

言われるままに適当にやっていました。

 

 

 

「その時のことを思い出して、書いてください。」と青木さんからよく言われました。

 

 

 

「あん時は何も希望なんかないから何もしたくなかった。」

「でも希望を感じたから、30年ぶりに家から外に出たんですよね。」と青木さんが言いました。

 

 

 

「あんたの話を聞いて何となく、外に出ようと思ったけど・・・」

「まあ、何もないわね。やっぱり死ぬまで、家にひきこもるしかないんだわ。」

「でも、やる気を出して毎日今は頑張っていますよね。」と青木さんが優しく言いました。

 

 

 

「で、なんでこんなに受験勉強の様に毎日頑張れるんですか?その理由を教えてください。」

「フイリピンに行って、こんな私でも、好きになってくれる人がいたから、頑張ってもっと良い自分に変わりたいと思った。」

 

 

 

「日本ではあなたを好きになってくれる人はいませんでしたか?」

「高校の時、いじめられていたんですよ。お金もってこいとか、殴られたりしていて、とても嫌だった。私は動作が遅いし、みんなとうまく会話ができなかったから、いじめられたと今ならわかる。」

 

 

 

「こんな自分でも変われると青木さんが言ったのと、結婚がしたいので、今最後のチャンスだと思って頑張っています。」

 

 

 

 

「女性から好きと言われたのは、その時はloveと感じていたけれど、今考え直すとそれはlikeだったよね。」

 

 

 

「女性の話というより、男友達ができたんですよ。みんなから飲みに誘われたり、ドライブにも行ったり、海にも行ったな。」

「僕はそれだけで、生きてきてよかったと思った。」

 

 

 

「だからもう一度、あの場所(フィリピン)に帰りたい。」

 

 

 

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