発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年の支援生活で最も大変な支援は。青木

 

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7年前に大野と出会いました。

初めて彼と会った時に彼が言った唯一の言葉は「行きます。」でした。

それは「環境を変えて、誰も自分のことを知らない場所でもう一度やり直してみないか」の問いかけに対する答えでした。

 

 

私たちは支援をする場合、当事者の情報をできるだけ集め、当事者のことを知ることをまず心がけています。

しかし、80を過ぎた彼の母親に色々と過去のことを聞くことはできませんでした。

 

 

 

仕方なく、関わって行く上で彼のことを知っていくというやり方になりました。

また、すぐに経済的自立をしなければならない必要もあり、そのことだけに集中して支援をしていました。

 

 

 

支援して6ヶ月で彼は、他の青年に勉強を教えはじめました。

 

 

 

それから6年半近く、支援に没頭した日々でした。

その間、彼の持つ苦手さなどはそのままになっていました。

 

 

しかし、昨年のコロナで私たちの団体を取り巻く環境が大きく変わりました。

フィリピンのセブ市を支援のメインにしている私たちですが、日本からフィリピンへの渡航ができなくなり支援活動が大幅に減ったのです。

 

 

そんな時に、大野が結婚したいという思いを持っていることがわかったのです。

本人の口から自分の言葉で「結婚がしたいので、協力してもらえませんか。」と言えば済むことなのですが、無口な彼は私たちにその思いを伝えることが簡単にはできませんでした。

 

 

 

今年の4月に彼の結婚への思いが確かなのを確認して、彼への婚活支援を開始しました。

それは彼へのオーダーメイドの個別支援が始まったということなのです。

 

 

私とスタッフの吉村と支援に従事していないスタッフたちを投入して、毎日彼への支援をしています。

支援は5ヶ月目に入ろうとしています。

 

 

大野の支援は私の30年の支援の中で、もっとも大変な支援です。

30年300人近くの人たちの支援を日々やり続けてきた私でさえ、投げ出したくなるような大変な支援でした。

 

 

「まさか、まさか。」の連続です。

ご家族の大変さは、どれほどだったのだろうかと思いやったこともありました。

詳しいことはプライベートなことなのですから、私はブログには書けません。

 

 

いずれ、大野の支援が終了したら書いてくれると期待しています。

 

 

しかし、昨日のスタッフとの反省会で、あるスタッフがこう言ったのです。

「大野さんが変わってきました。それを感じます。1年前とは違います。」

他のスタッフたちも同じように感じていました。

 

 

私自身もそして吉村もそれを感じていました。

大きな潮目を感じている私たちです。

 

 

大野が結婚して大きく変わったなら、「特性のとても強いASDでもここまで変わりました。」と大きな声で言いたいです。

 

 

私たちも大野と一緒に頑張ります。

 

 

 

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