発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

他人に興味がなかった子どもでした 東大卒ASDな大野

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私は勉強だけしていました。

勉強は楽しかったですね。

数学はパズルみたいな感覚でした。

 

 

特に生物には魅了されてしまいました。

高校時代から専門書を購入してみていました。

特に写真が多く掲載されている専門書は見ていて飽きませんでした。

 

 

 

人と関わるのは好きではなかったです。

他の子どものようにみんなと一緒に繋がる事は積極的にはしませんでした。

 

 

どうして?

 

 

今なら少しはわかります。

 

 

しかし、青少年の時には、どうしてみんなと一緒にいなければならないのかと逆に質問していたでしょうね。

 

 

要は他人に関心がないのです。

だから小学校と中学校の時はみんなと合わせることがとても苦手でした。

不登校にはなりませんでしたけど。

 

 

勉強が楽しかったからです。

それと給食も楽しみでした。

毎日メニューが変わるのが嬉しかったです。

 

 

給食の1ヶ月間のメニューが配られます。

あれに目を通すのが楽しみだったことを思い出します。

でも、写真がなくて文字だけだったので、想像できなくていつも母親に「クジラの竜田揚げってどんな料理なの?」と聞いていたのを思い出します。

 

 

 

それだけです。

でも2つの楽しいことがあったので、窮屈だと感じていた小学校にも不登校にならずに行けました。

 

 

中学、高校、大学と勉強しかしていませんでした。

そして大学院で不登校となり、それ以降30年近くひきこもってしまいました。

 

 

つまり、私は小学校の4年くらいから年相応の精神的な成長はせず、歳だけ53歳になった人間だったのです。

 

 

 

ですから、できないことが山ほどありました。

できることを数える方が早かったでしょうね。

 

 

「こんなこともできないのか?」

「えっ、知らないの?」

 

 

世間の人たちはそう言うでしょうね。

もちろんこの団体のスタッフはそんなことは私には言いませんでしたよ。

 

 

みんなができて、自分ができないこと。

みんなが知っているのに、自分が知らないこと。

そのことが恥ずかしいことだなんて、わかりませんでした。

 

 

つまり自分の現状を、支援してくれているスタッフから教えてもらったということです。

 

 

53歳からの人生やり直しです。

 

 

3年以内に自立を目指す。

これが、支援開始当初、私の母親が支援団体に望んだことでした。

「もっと時間が必要です。」と青木がなんども私の母親に言ったそうです。

 

 

確かに自立はできました。

しかし・・・。

 

 

明日に続きます。

 

 

 

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