発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ASDな僕には助けが必要。東大

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僕はみんなとは違う。

僕はみんなとかなり違う面を持っています。

 

 

自分は優秀な人間だと思っていた。

自分ではそう感じていなかったけど、学校の先生もクラスの同級生もみんなが僕のことを頭が良い人だと褒めてくれた。

 

 

 

だから、自分は頭が良い優秀な人間だと思っていた。

小学校、中学校と困ったことは特別なかった。

いじめられた経験もない。

 

 

 

高校は男子高校でそこそこ楽しい高校生活を送った。

そんな僕だから、20代前半から30年という長い期間ひきこもるなんていうことは想像もつかなかった。

 

 

 

東大に行って気づいたことがある。

自分より勉強ができる人たちがこんなにもいるのかという驚きと失望。

まあ、これは東大生になった人の多くが気づくことです。

 

 

 

それでも負けたくない一心で東大生になってから、ギアを一段上げて初めて一生懸命に勉強をした。

大学での自分が思う自分への評価はとても良かったと感じていた。

 

 

 

しかし、全ては大学院の研究室で変わってしまった。

特に、僕が選んだ研究室は、当時世界の先端を行く研究で、世界中の大学や研究室が成果を競っていた。

 

 

 

だから、今考えれば、決して入ってはいけない研究室に入ってしまったのです。

研究生たちは、最先端の研究に参加しているという強い自負心と結果を出さなければならないという焦りからくるストレスで、研究室内で大声を発する人や、おかしな行動をとる人たちも見えた。

 

 

 

そんな中で、もともとその様な環境に身を置いた経験がない僕は、強いストレスにさらされた。

報告、連絡、相談が研究室の中での命綱だ。

 

 

 

絶えず、研究員生同士で深くて効率の良いコミュニケーションが求められていた。

それは僕が1番苦手なことだったのです。

 

 

 

そして、僕は潰れてしまった。

そこで初めて、自分の特性が自分でわかった。

 

 

 

いいえ、特性がわかったのではなく、みんなと自分は違うのだということがわかったのです。

何が、どの様に違うのか?

そして、その差をどう考えて、どう対処していくのか?

 

 

 

そんなことは考えもつかなかったし、自分は今、どうすれば良いのかが何もわからず、強いストレスから、胃潰瘍になり、研究室に行けなくなってしまった。

 

 

 

「休み休みでも良いので、研究室に来なさい。」と教授が僕に配慮してくれた。

しかし、研究室では、メインの研究から外されて、雑用的な仕事しか与えられなかった。

 

 

そして。「就職の推薦はできない。」と言われて、全てが終わったと思った僕です。

それから30年ひきこもってしまいました。

 

 

 

 

30年間考え続けていました。

「あの時何が起こったのか?」

何度自問自答しても答えは見つかりませんでした。

 

 

 

7年前にこの支援団体につながって、支援を受け続けて、僕とみんなが違うことの中身がわかったのです。

 

 

 

僕たちの様な人間には理解ある他者の助けが必要なのです。

 

 

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