発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

東大出て30年ひきこもってしまったASDな私  東大

 

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YouTube専属のスタッフを雇いました。

技術を持っています。

仕事ぶりには満足しています。

しかし、問題が起きています。

 

 

主たる問題は、私がコミニュケーションをそのスタッフとうまく取れないということです。

いつも「あなたの言っていることが理解できない。」と言われています。

 

 

青木がチェックしたところでは、やはり私の会話の速度がとても遅いこと。

物事を正確に相手に伝えることができないためです。

もっとも大きな問題は、それらの問題を私がその場で把握できないことです。

 

 

これが私の大きな問題点なのです。

私は人と一緒に仕事をしていくことが苦手です。

 

 

53歳からこの団体で支援を受けてきました。

私への支援は特別でした。

 

 

 

青木をはじめとする中心的なスタッフたちがいつも私に寄り添い、支援をしてきたのですから。

これ以上ない支援を受け続けてきたのです。

朝から夜の11時近くまで家族のように接し続けて支援をしてくれました。

 

 

ですから私は、30年間のひきこもり生活から抜け出し、今はそれなりに人生を楽しむことができるまでになっています。

 

 

 

だから私は皆さんにお伝えしたいのです。

 

 

発達障害ASD

人によって支援の大変さは違います。

残念ながら、私はこの団体始まって以来の大変な状況の者だったそうです。

 

 

変えられるものと変えられないものがあります。

ADHDと診断された人たちは丁寧に時間をかけて支援をすれば、落ち着いて物事を見て、考え、行動できるまでに変わる場合が多いです。

 

 

しかし、私のような状況の人たちは、そのようにはいきません。

自分たちを変えることより、自分の特性に周りの環境を合わせることの方に重点をおいたほうが良いのです。

 

 

もちろんそうは言っても、社会で生きていくための最低限の知識やルール、マナーは身につけなければなりません。

 

 

 

ASDと診断されていない人たちは、周りを見たりして自然と身につけていくものですが、残念ながら私のようなタイプの人たちは、そうはいかないのです。

 

 

生きていく上での必要なことを丁寧に時間をかけて身につけられるまでに練習していくしかないのです。

 

 

 

それをおこなう人は大変なことです。

 

 

私の母が若かりし頃にそのような知識があったとしても、母にはできなかったでしょう。

できない母を責めることは間違いです。

自分の子どもへの関わりができなくても、仕方がないほど大変な状況の子どもたちがいるのです。

 

 

 

ですから外部の人に手伝ってもらう事が必要なのです。

 

 

できないままにしないで、時間をかけてでもできるようにしていきましょう。

ASDなお子さんが、20歳でどのような感じになっているかを想像しましょう。

 

 

お母さんがこのようになって欲しいと思える理想の姿目指して、日々子どもたちに関わってください。

 

決して焦らないでください。

 

 

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