発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

機械語を話すASDの人たち。青木



 

 

 

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 新しいYouTubeの番組ができました。

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このQRコードを読み取れば、一瞬で1/25のYouTubeの動画が見られます。

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30年間ひきこもった人が社会に復帰する。何歳になっても自立できるように


 

 

 

 

 

大学1年生から、30年間近くひきこもった男性のAさんの支援をしています。

そのAさんが正月明けに、「疲れたので支援を中断したい。」と言ってきました。

 

 

時間をかけて色々と話を聞くと、体調がすぐれないので私たちが提供する回復プログラムが続けられないということを話してくれました。

 

 

小学生くらいから、毎年冬になると体調を崩して寝込むことが多かったそうです。

 

 

それで回復プログラムを今の彼の状態に合わせて考え直しました。

新しいプログラムを1週間続けて、改めて本人に感想を聞きましたらこれならやり続けられると話してくれました。

 

 

毎日反省会をして、その日のAさんの様子を把握しています。

ただ、年末、年始に実家に帰らせてしまったことが良くなかったのです。

私としては、大きく変わったAさんの姿を認知症の症状が出てきたお父様に見ていただく最後のチャンスだと思ってのことでした。

 

 

お母様からは、「息子の方から、おはようございます。と言われたので驚きました。また私が食事の仕度を終える前に、我先に食べることをしていた息子が、私が席に着くまで、食べるのを待っていたので驚いた。」と話してくれました。

 

 

「ただ、家にはインターネットがないし、暖房も十分ではないので、年末、年始は1日中毛布にくるまって、ブツブツ独り言を言いながら寝ていました。」

「もう帰って来てもらわんで良いです。息子も名古屋の方が良いと思うので。」とも話してくれました。

 

 

 

やはり実家に帰省させてしまったのは間違いでした。

気持ちがとても下がってしまい、支援を中断したいとまでになってしまいましたから。

 

 

この先のこと。

3月第3週までは今の彼の状況に合わせたプログラムを継続します。

主に、英語とビサヤ語の習得が中心です。

 

 

体重は回復ブログラムを開始してから、5キロ減量しました。

整体にも引き続き通って、背中の曲がり具合も少しですが、改善してきました。

日常生活で必要なことはほぼ終わりました。

一人暮らしはできるようになっています。

 

 

 

人とのコミュケーションの練習も毎日続けています。

外食を1週間に1度して、注文の仕方、同行者との会話の練習、食事時のマナーなどを徹底的に教えています。

 

 

 

 

そんなAさんですが、もっとも難しい支援はなんだと思いますか?

 

 

 

それは感情を乗せて会話をする事が苦手な事です。

いつの頃からか、私たちの中ではそれを機械語と呼ぶようになりました。

日本語を話しているのですが、機械が話しているように聞こえるのです。

 

 

抑揚がなく、間も一定の会話。

まさに機械が話しているみたいです。

Aさんと話した人は、みんな違和感を持ちます。

必ずと言っていいほど、「調子が悪いのですか?」と聞いてきます。

 

 

もちろんASDの人たちが全て同じような訳ではありません。

また、練習を積み重ねていけば、改善していく例も今まで多く見てきました。

しかし、大変な時間を要します。

 

 

〈感情を乗せて話をする〉については別の機会でお話しします。