発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年間ひきこもってもなりたい自分になれますか? A

   ヒロさんには本当にお世話になりました。

 

 

もう一度事務所に戻って話し合いの席につきました。

 

 

 

「結婚がしたいです。1人は嫌です。寂しすぎる。」

 

 

「相手は20代から30代前半を希望します。

仕事はアルバイトでなければなんでも良いです。

給与は最低でも15万は稼ぎたい。

あと、こんな最低な人生だったけれど、今後は困った人たちを支援する側に回りたいです。」

 

 

 

一気にまくし立てた私です。

 

 

 

吉村さん、青木さん・大野さん(インターネットでの参加)、スタッフOさん、マルさんたちが驚いた表情をしていました。

興奮していた私は、机を叩いてこう言った。

 

 

 

「できるのか、できないのか、どっちですか?はっきりと言ってください。」

「できない。と私たちが言ったら、今後どうするつもりですか」と吉村さんが言いました。

 

 

 

「できない。」という言葉を聞いた私はパニックになってしまいました。

パニックになると、異常に瞬きが多くなる私です。

 

 

 

 

「落ち着きなさい。」青木さんがパソコン越しに囁いてくれました。

 

 

 

 

「質問を変えましょう。あなたはできると思っているのですか?」

「まだできると思っています。まだなんとかなると思っている。」

 

 

 

 

「希望があるんですね。その希望はいつ頃から見えるようになりましたか。」

「フィリピンに行ったら、私みたいな人がたくさんいて、でもみんな変わったことがわかったので、私も変われるかもしれないと思ったんです。」

 

 

 

 

「Aさんは、自分は変われると信じているのですね。」

「はい、変わりたいです。もうこんな人生は嫌なんです。」

 

 

 

そう言い終わると、テーブルの真ん中に置かれていたパソコンのスイッチを吉村さんが押されました。

そこには、昔の私が映しだされました。

 

 

 

 

「ようこそいらっしゃいました。」スタッフの人たちが歓迎してくれている映像です。

青木さんは、昔も今も髪の毛はありません。

私は今よりも背中が曲がって、80代のおじいさんのようでした。

しっかりと半ズボンも履いています。

 

 

 

「このビデオ、覚えていますか?」

とても見られたものではない。

完全に狂っていた。狂人だ。(私の心の声)

 

 

 

 

「他のスタッフに聞いてみましょうか。」と順番にスタッフさんが感想を述べてくれました。

 

 

 

「名前と性別以外何もかもを変える覚悟が必要ですね。その覚悟があるかどうかですよ。当分は、私たちのプログラムを徹底的に実行してください。」と言ったのは青木さんです。

 

 

 

「プログラムをやり通せたら、なりたい自分になれますか?」

「なれますよ。やりきったらね。」

「プログラムができなくなる理由は何が考えられますか?」

「成果がすぐに感じられないもどかしさから、変わる為の努力をやめてしまうことですね。」

 

 

 

「私がそうなる確率は?」

「ゼロではないけれど、まず大丈夫でしょう。」

「あえてなるとしたら、どんなことでなりますか?」

 

 

 

人間ドッグを6ヶ月ごとにしていて、異常は見つかっていないから病気は大丈夫で、考えられるとしたら、交通事故や不慮の事故によるケガ。それが長引くことで、プログラムができなくなり、気持ちが下がる。」青木さんがそう言いました。

 

 

 

続きはまた次回。

 

 

 

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