発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年間のひきこもり。A

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海外なら人の目を気にしなくて良いので外出できました。シャングリラ・ホテルロビー

 

私がこの先、死ぬまで無人島で1人で生き続けるなら何も問題はない。

医療が必要だとしても、医療を受けずに1人で生き続けるならそれでいいのだ。

 

 

一生、人前に姿を見せなければ、何も問題は起こらない。

誰にも嫌な思いをさせなくて良いのだ。

 

 

 

人とコミニュケーションが取れない私は、そうするしかないのだ。

しかし、私はコミニュケーションが取りたい人なのです。

 

 

小学校の時に同級生たちに言われたことを思い出します。

「お前とは話が通じないから、あっちへ行け。」

そう言って、野良犬を追い払うような仕草をされた。

 

 

 

その記憶が今でも時々思い出される。

40年近く前の出来事なのに。

 

 

みんなから嫌われていた私です。

これ以上同級生たちから嫌われるのが嫌なので、同級生の機嫌を損ねないようにといつもそのことだけを考えて生きてきた。

 

 

中学校もそう。

高校も。

いつもいつもいじめられていた。

 

 

年をとるにつれ私に対してのいじめは深刻になっていった。

高校では、いつもお金を要求されていた。

それに応じなければ、殴る蹴るのリンチが待っていた。

 

 

 

彼らは彼らで、体で目立たないところをいつも攻撃してきた。

 

 

私は周りのみんなとそこそこ楽しくやっていくだけでも、十分に満足できるのに、彼らが私にくれたものは、無視や否定や尊厳を傷つけることだけだった。

 

 

高校をなんとか出てからもう一度、気持ちを新たにして臨んだ大学通学だったけれど、私が感じたことは疎外感だけだった。

私はもうダメなんだなと感じた。

 

 

 

みんなから、距離を置かないと生きていけないと強く感じていた。

それで自分の部屋に閉じこもった。

 

 

テレビをぶっ壊した。

携帯電話は持っていなかった。

友達もいないので、持つ必要がなかった。

 

 

それから30年間、家に閉じこもった。

家からでたことは、数える程ばかりです。

幸い、庭がとても広いので、時々は庭の芝で1人で日光浴をしたりもしていた。

 

 

ただ、それだけ。

それだけの30年間。

強い後悔しかない。

 

 

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