発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

高校は特別だった。シンゴ

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もう戻れない。あの時には

 

私は高校でつまづいた。

そしてそこから私の人生はどんどん落ちて行った。

最後は狂人のようになってしまった。

 

 

幸い私の姉は、〈ひきこもり〉〈発達障害〉などに関心を持っていて、色々と勉強をしていた。

世の中には同じく勉強をしている人たちがいるけれど、正しく理解するどころか、間違った考え方をしている人も多いと思う。

 

 

その点では、姉は正しい見方をしていた。

青木さんがそのように言っていたから。

 

 

青木さんに言わせれば、自分の団体にリクルートしたいと思うくらいできる姉だそうです。

 

 

そんな姉でも理解がしにくい点があった。

それは〈性的な問題〉です。

 

 

女性と男性では抱える問題が違うのです。

 

 

私が通っていた高校は、伝統ある進学校でした。

学生の本分である勉強をしていれば、あとは他人様の迷惑にならなければ、基本なんでも OKという校風でした。

 

 

青木さんの高校も私の高校と校風が似ていて、つまづいた点も同じだと話してくれました。

 

 

あの時に戻るとして、何が私に必要だったのかと昔はそればかり考えていた。

 

 

青木さんが「何があればうまくやり過ごすことができたと思う?」と聞いた。

「男女のことを丁寧に教えて導いてくれる友達がいたら違っていたと思います。」

 

 

「メンターが必要だったんだよね。でも、友達にそこまで求めるのは酷だよ。余裕をふかしているように取り繕っているだけのことが多いからね。」

「やはり年上のメンターが必要だったんだな。」と青木さんは遠い昔を思い出すかのように視線を遠くにやった。

 

 

「昨日のことのように覚えているよ。40年前の出来事なのに、あの時の空気感とか、友達の声とか会話の内容まで鮮明に覚えている。」

 

 

その青木さんの言い方で、突然胸が締め付けられそうになった私です。

 

 

急いでベルトを緩めて、床で横になった。

青木さんとはもう少し話したかったので、階下のマンションロビーで待ってもらうことにした。

 

 

涙が出た。

強い疎外感をあの時、私は感じていた。

でも私にはかけがえのない時間でもあった。

 

 

今でも強く思う。

高校時代にもっと楽しく過ごしたかったって。

 

 

 

でも、もうどうすることもできない。

ただ悲しみだけが残っている。

 

 

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