発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

小・中はやり過ごしたが・・・ シンゴ

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ダイビングはやったほうが良いですよ!!


 

 

ブンさんが日本に帰り、ヒロさんは自立して、このブログを書く人がいなくなって大丈夫かなと思っていました。

 

 

そしたら、自分が書く約束をしていて、書いていないことを思い出しました。

続きを書きます。

 

 

私のことを知らない人は過去のブログを読んでください。

 

http://smilehousejapan.hatenablog.com/entry/2020/04/07/123222

 

 

 

 

小学校と中学校のことは正直どうでも良いと思っている。

小、中とそこそこ学校に馴染めていたから。

 

 

私は勉強はできました。

姉はもっと勉強ができて、姉と一緒に塾に通っていて一緒に勉強もしていたから、常に先の勉強が見通せていた。

 

 

勉強はできるけれど、同級生との付き合い方は全くわからなかった。

友達同士の会話も何を話せば良いのかわからなかった。

どちらかというと、黙っているタイプの私です。

 

 

でも、その場その場で機転を効かして、みんなと仲良くやっていく努力はしていた。

みんなの輪の中に積極的に入っていって、みんなの話をうなずいて聞くこと。

みんなが笑ったら、自分も目立たないように笑うこと。

 

 

全て姉が私になんども教えてくれた法則。

それで乗り越えられていた。

それとなんとかやって来れた1番の理由は勉強ができたことだと思う。

 

 

勉強ができたので、みんなは私をいじめなかった。

楽しくなかった小、中時代です。

 

 

しかし・・・。

 

 

高校に入って強い違和感を感じた。

私が進学した高校は、歴史ある進学高校で、勉強していれば、あとは何をしても大丈夫という校則だった。

 

 

私服で混乱。

 

どんな服を着れば良いのか?

服の組み合わせを選ぶことができない私です。

パニックになります。

   ↓

姉が1週間分の服の組み合わせを事前に用意してくれた。

 

 

学校生活で疲れた。

 

エネルギーに満ち溢れていた生徒が大勢いて、毎日が学園祭のような感じの賑わいでした。

 

      ↓

学校にI Podを持って行きなさい。

休み時間はそれを聞いていなさい。

教室内にあなたみたいにおとなしい人がいるはずだから、その人と友達になってあなたの好きな音楽の話をしなさい。

 

姉からそう言われて、なんとなく教室内に居座れた。

 

 

部活動に入れないでいた。

 

音楽部に入ってギターを弾いてみてもいいかなという程度の情熱しかありませんでした。

でも高校3年生が大人に見えて怖かった。

だから怖くて入部申請に行けなかった。

     ↓

 

姉が私の高校まで来た。

姉に背中を押されて軽音楽部の部室に行った。

「あの私の弟なんです。入部希望ですが気が小さいので私が連れてきました。」

 

なんと姉は家から私のギターを持ってきて私に渡した。

そしてこう言った。

「みなさんに聞いてもらいなさい。」と。

それは命令に近いものがあった。

 

私は姉の命じるまま、弾いた。

そしたら姉は歌い始めた。

それには聞いていた軽音楽部の人たちが驚いた。

 

 

お分かりの通り。

姉と私は全く別の性格です。

真逆です。

 

 

私はそんな姉を尊敬しています。

 

 

思うのですが、姉は青木さんとそっくりですね。

 

 

 

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