発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

子どもにあった支援を作ることが大切。程度の悪いアスペな俺

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俺は児童相談所から、「1度診断を受けた方が良いですよ。」と言われた。

 

 

実は父親の仕事の都合でアメリカに少し住んでいて、その時にすでに診断されていた。

周りの人たちが「この子ども、なんか変」と感じたから。

しかし、母親が「そんなの信じない。うちの子どもに限って、障害なんてない。」と心底思っていたから、それはないものとされた。

 

 

で、日本で3つの病院で診断を受けた。

1つ目の病院は「発達障害なんていうものは、実在しないんだ!!」という考えの先生だった。

選択を間違えた父親です。

 

 

2つ目と3つ目では見事に「アスペルガーADHDの傾向

が見て取れます。」とかなんとか言われた。

俺は、「なんだそれ。」という感じ。

 

 

先生の勧めで併設するデイケアセンターで日々療育を受けた私です。

でも、退屈なのとやっても意味がないと自己診断して行かなくなりました。

 

 

でも、俺のおかしさは相変わらずで、家族に疎まれたまま。

それで、お寺さんで修行することになりました。

寺は肌に合わなかった。

 

 

 

腹一杯食べられなかったことが一番辛かった。

それと「あの自分の部屋にテレビがないんですけれど」と住職さんに聞いたら「何しにきたのだ」と言われたから「修行に決まってますよ。強くなりたいんです。いじめられていたから、見返してやりたいんです。」と答えたら、「もういい、夕食は抜いて反省しなさい。」と言われた。

 

 

なんで怒られたかはその時はわからなかったな。

で、〈ドラゴンボール再放送〉命の俺だったから夜9時に脱走した。

 

 

それからフリースペースとかNPO団体にも行ったけれど、つまらなかったので行かなくなった。

誤解しないで欲しいのです。

寺の住職もフリースペースの人もみんな優しかった。

でも、俺はつまらなかったので行かなくなった。

 

 

そんな俺が、この団体で13年間支援を受け続けた。

今思うんだけれど、どこが違うか。

俺は、この団体が居心地が良かった。

 

 

テレビを見ても良いと言われたし、元代表の青木さんなんか〈ドラゴンボール〉を心から愛していて話があった。

 

 

いやいや、そんなことじゃないんだ。

俺が心地よいと感じたのは、スタッフたちが、俺のことをわかろうとしてくれていたからなんだ。

 

 

そして俺に合わせて、プログラムを作ってくれたんだ。

それも日々微調整ありだった。

だから、心地良いはずだよね。

 

 

〈療育疲れ〉という言葉がだんだんと大きくなってきていますよね。

子どもの成長がなかなか進まなくて、お母さんがやきもきする。

ちょっと待った!!

 

 

それ以上に俺たち程度の悪いアスペルガーな子どもたちは、「療育、療育!!」と母親から言われて、もっと大変な思いをしているんだ。

今ある支援に子どもを合わせようとする考えはやめて欲しい。

 

 

その子どもに合わせた支援でなくては、子どもの成長は望めないよ。

もしくはいつか子どもの大爆発が起こるんだよ。

 

 

 

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