発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

アスペルガーの僕が回復したのだから。東大

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30年ぶりの東大。構内を歩いていたら不安な気持ちになりました。30年前のことなのに



 

僕が1番困っていること。

それは、コミニュケーションがうまく取れないことです。

友達との日常会話程度なら、少し変だと思われるぐらいですが、これが仕事となると困ります。

 

 

 

間違いなく仕事を失うことになるでしょうね。

東大大学院の研究室でトラブルになったのも、他の研究員とのコミニュケーションがうまく取れなかったせいなのです。

 

 

 

私がこの団体でお世話になった4年間。

毎日が他者と円滑にコミニュケーションをとれる為の練習の日々でした。

4年間、おはようからおやすみまでの時間が全て練習の時間でした。

 

 

 

はっきり言いますと、大変な日々でした。

なんども挫折しかかって日本に帰ろうと思ったのです。

しかし、状況が変わり、帰るに帰れなくなってしまったのです。

 

 

生まれてから52歳まで、一緒に生活してきた母親が僕がフィリピンに行った2日後に突然天に召されたのです。

そして、その家は人に貸し出されて、日本には僕の帰る場所がなくなってしまったのです。

 

 

 

社会に回復する為の日々の練習から逃れることができなくなりました。

とにかく日々練習を淡々としていくだけです。

 

 

 

もちろん、大変な練習と言いましたが、青木も他のスタッフもとても優しく指導してくれました。

あまりにも僕の状況が悪かった為、指導してくれているスタッフの話していることも支援の初期は理解できなかったほどです。

 

 

 

回復までに4年間かかりました。

自分の不甲斐なさに泣いたことがなんどもありました。

自分が成長していることを実感したのは、支援開始から1年後です。

そして支援が始まって丸5年がたってから、代表になったのです。

 

 

 

それほど信頼と期待をしてくれていたことはとても嬉しかったです。

僕は、30年間ひきこもってしまうほど、他の人と大きな違いを持っています。

それでも、練習でそこそこできるまでになることを身を以て体験したのです。

 

 

この体験は、支援をしていく上で、とても大きな出来事なのです。

私が変わったのです。

30年間ひきこもらざるを得なかった私は、変わったのです。

 

 

「こんな私でも変わるのだから、あなたも変われるよ。」

「僕たちを信じてくれさえすれば、ゴールまであなたを連れて行けるから。」

僕は今、そう支援している人たちに自信を持って語ることができるのです。

 

 

そうなのです。

 

 

私がひきこもりからの回復の証明なのです。

 

 

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