発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

読者からのお便り。

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こんにちは。

初めてメールを書きます。

いつもこのブログを見ています。

 

 

このブログは以前、不登校や、ひきこもりのお子さんを持つお母さんが多いと、書いてありましたけれど、私のような読者もいることを覚えていてくだされば嬉しいです。

 

 

私のことを少し書かせてください。

私は今22歳です。

高校2年から学校に行けなくなりました。

そして、中退しました。

 

 

中学校も不登校気味でしたが、私は高校に入りたかったので、勉強だけは頑張りました。

自分の希望の高校に入れたので、とても嬉しかったです。

 

 

高校は中学のような意義苦しさがなくて、天国だと想像していました。

でも、それは最初だけでした。

 

 

私は、高校で学校生活を楽しむ予定でした。

昨日のブログでブンさんが書いていたことと同じだと思います。

たわいもない話で友達と笑いあったり、恋バナで騒いだりとか。

 

 

心から友と呼べる人が欲しかった。

中学時代は、高校受験のための訓練期間のような気がしてとても嫌でした。

小学校は、周りの人たちが子どもすぎて、気が合いませんでした。

 

 

だから、私は希望の高校に入れたことで、今まで我慢していた事ができるって、とても嬉しかったのを覚えています。

 

 

私が入学した高校は、歴史と伝統がある学校で、先生たちは生徒を信じ、生徒も責任と自覚を持って日々生活しているという自負心を持っていました。

 

 

私は小、中と、とても暗い性格だと周りから思われていたと思います。

本当は、バカな事をやって友達を笑わせたり、思いっきりはしゃいだりとかしたい人間でした。

 

 

でもどうやったらそうなれるのか、わからないまま高校に入学しました。

 

 

楽しいことがこれから起こる。

そんな事を考えるだけで、毎日が幸せでした。

 

 

テニス部に入部して、ラケットとユニフォームも買い揃えました。

ユニフォームに着替えたあと、鏡で自分の姿を見たとき、ちょっと感動しました。

 

 

しかし、5月の連休を過ぎる頃にはクラス内で仲良しグループが出来上がりつつありました。

 

 

私はどうしたらいいのかわからずに、ただクラスの中で浮いていたと思います。

そんな自分がとても嫌で、いつしか友達よりも勉強のことしか考えない女生徒というキャラを演じていました。

 

 

勉強ができるより、友達と笑いあいたい。

ふざけた事をやって、先生から怒られてもみんな笑っているその姿がとても羨ましかった。

 

 

 

でも、もう自分ではどうすることもできなくなっていました。

 

 

ある時、駅のフォームで電車を待っているときに、電車に飛び込みたいという衝動が起きてから、私は学校に行くのが怖くて行けなくなりました。

 

 

そして、ひきこもっています。

毎日が同じことの繰り返しです。

母親は私を怒らせてはいけないと、毎日ビクビクしています。

 

 

死んでしまいたいです。

毎日そう思っています。

 

 

でも、このブログを見つけて、きっと私もまだ大丈夫だと少し思えるようになりました。

 

 

 

ブンさん、幸せになれて良かったですね。

34歳で大学1年生の人もどうか早く彼女を見つけてください。

50代男さん、諦めないでください。

 

 

これからも応援しています。

 

 

 

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