発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校の僕は死ぬことしか考えられなかった。ブン

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猫背を直してあげたいんです。



 

僕は小学校から不登校でした。

正しくは幼稚園からです。

 

 

なんの理由もないのに不登校になるわけはない。

不登校になったのにはわけがある。

僕の場合はクラスの同級生についていけなかったから。

 

 

 

みんなができるのに僕だけできないことが多くあって、だんだん不安になってきた。

集団行動に工作、体育とか。

学級で連絡事項なんかがあっても、それを家の人に伝えることがまた苦手だった。

 

 

それで学校に行くのが辛くなった。

また、みんなからバカにされたり、先生に注意されると思うと学校に行くのが怖くなっていった。

 

 

それで学校に行けなくなった。

勉強も苦手だったな。

良いとこなんかなんもなかった。

 

 

しかし、今はフィリピンの大学で勉強をしている。

友達もいて、毎日楽しくやっている。

昔の僕からしたら、今のこの状況が信じられない。

 

 

で、思うんですよ。

なんで日本では不登校だった?

そして、ひきこもっていたんだ。

 

 

ここでは毎日が楽しい。

まあ、勉強大変だけれど。

生きていてよかったと思っている。

 

 

日本では死ぬことしか考えられなかったから。

だって、みんなが行っている学校に、僕は行けなかったんだから。

そんなん小学校の時点で、僕は弾き飛ばされたということ。

 

 

「アウト!!」って宣告された。

で、中学でやり直せるんじゃないかって、一瞬思った。

母親もそれを思っていて、住所を親戚のところに移して、誰も僕が小学校の時に不登校だったということを知らない場所だったら、もう一度やり直せると母親は思った。

 

 

 

僕もそれだったら、中学に行けるかなと期待した。

でも期待はすぐにしぼんでしまった。

新しくスタートは切れるけど、僕の〈バカさ〉は何も改善されていないから。

 

 

違う場所に移っても同じことだとすぐに理解した。

いや、小学生の時より大変な状況になることは、バカな僕でも想像できた。

 

 

みんなは毎日小学校に通っていて、どんどんレベルアップをしている。

その一方で、僕は家でぼーっとしている。

その差は開くばかりですよ。

 

 

不登校の子どもを対象にした高校のパンフレットを母親から見せられた。

「一度見学だけでもしてみないか」と誘われた。

 

 

「無理、無理だって。」心の中でそう叫んだ。

奴らとの差はもう取り返すことができないほど開いてしまった。

こんな僕は下級国民として、残りの人生を歩んで行くしかないんだ。

 

 

もう無理なんだよ。

どうしてこんなふうになってしまったのか?

犯人探しをしていた僕。

 

 

身近にいる母親を犯人とした。

そして、母親への暴力。

 

 

ヒロ師匠のブログで家庭内暴力の場面を読んだ時、自分が暴れた記憶が鮮明に呼び起こされた。

 

 

絶望。

死ぬしかない。

人生で1番輝いているはずの時間を僕は無駄にしてしまった。

 

 

僕みたいな子どもを持つご両親さん。

お母さんしか、子どものことを考えてくれる人はいません。

諦めないでください。

 

 

お母さんが諦めたら、子どもの命もなくなってしまうから。

子どもは「助けて」と言えないですよ。

でも、助けてほしいに決まっています。

 

 

どうかどうか、子どもさんに合う支援を必死になって探してあげてください。

 

 

僕ができることは、僕のことを書くことだけです。

 

 

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