発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

中学不登校後5年間支援を受けた彼の現状②

f:id:smilehousejapan:20191109150601j:plain

 

 

小学校で不登校のW君。

でも頑張って通学する努力をしていました。

しかし、中学で息切れしてしまい数日通って全く行けなくなったのです。

 

 

彼はひきこもっていました。

それで、サポートセンターのスタッフがなんども訪問し、説得して、彼は支援に繋がったのです。

 

 

支援に繋がりはしましたが、最初から心をひらいてくれた訳ではありません。

すぐに心をひらいてくれれば、こんなに簡単なことはないのです。

 

 

W君と私たちサポートセンターとで信頼関係を構築する必要がありました。

その為に必要なものは、体験を共有するということです。

 

 

魚釣りに行きました。

ボーリングにカラオケ、映画、ハイキング、ドライブ、キャンプ泊いろんな体験をW君と共有したスタッフたちです。

 

 

心から、他者との交流に飢えていたW君。

彼との強い絆が出来上がりました。

 

 

私はW君の家庭教師をしていました。

 

 

その時にはすでにとても素直な良い少年になっていました。

でもよく涙を流していたのです。

小学校でみんなから排除されたことを思い出して、泣くのです。

 

 

そんな時には、彼の大好きなスターバックスに連れて行くのです。

「ダーク モカ チップ クリーム フラペチーノ」が大のお気に入りでしたね。

それを飲むと、良い笑顔になるんです。

 

 

インターナショナルハイスクールに入学するのですが、「また日本みたいにみんなから、無視されるのでは?」ととても不安になっていたW君。

入学初日は頭痛がするということで、半日で帰宅しましたね。

 

 

しかし、プログラミングを学んで、オリジナルのゲームを開発して、クラスの人気者になった彼です。

そこから、彼は大きく変わっていきました。

無遅刻無欠席でインターナショナルハイスクールを卒業。

 

 

「卒業後は日本でやり直したい。どれだけ通じるか挑戦したい。」とのことで、日本に帰りました。

アルバイトを6ヶ月間やりましたが、2ヶ月間はどこのアルバイトも数日でくびでした。

 

 

何が問題なのかをスタッフと話し合い問題点を1つ、1つ解決していき、6ヶ月後にはどこで働いてもやっていけるまでになったのです

 

 

そして、学校復帰です。

すんなりと学校に順応していったW君。

1年目、無遅刻無欠席。

でも、1年目の成績表を見せてはくれなかった彼です。

 

 

ところが、先日「見せるのを忘れていましたね。1教科以外はほぼ満点です。」と誇らしげに言うW君。

W君には内緒で先生に様子を伺っていましたから、成績表を見なくてもわかっていた私たちです。

 

 

しかし、実際に彼から手渡された、成績表を見ましたら、スタッフが泣いてしまったそうです。

 

 

 

無遅刻、無欠席。

それで十分なのです。

彼の名誉のために書いておきますが、1教科が7割で、あとは全て9割ですから、驚きです。

 

 

 

長い時間かけて、家族のように関わってきたW君が大きく変わったのです。

みんなから無視されていると泣いていた15歳の彼が、今は立派な青年になっています。

 

 

 

「今度友達と焼肉パーティをするんです。僕、幹事任されちやって、どこで買えば安いですか。」と笑顔で話す彼を見て、私たちの今までの日々の支援の成果が出たのだと、心から嬉しく感じました。

 

 

彼の支援は終了しています。

 

 

私たちは今、次の青少年たちを笑顔にするために日々支援に奮闘中です。

 

 

皆様の応援をどうぞお願い致します。

 

 

下記バーナーのクリックを押してください。

ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 

いつもご協力をありがとうこざいます。

    1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。