発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校の娘が久しぶりに話してくれた日。Sちゃんの母

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先日勧めていただいた映画を見に行きました。

 

 

ダメだろうと思ってはいましたが、不登校の娘にも声をかけてみました。

内容を説明して、夜の上映で観覧人数は予約段階で10人程度だと説明したのです。

 

 

「行ってみる?」と説明しましたら、小さくうなづいてくれたのです。

 

 

館内は30人程度の入りようでした。

娘に大丈夫かなと聞いたところ、また小さくうなづいてくれました。

 

 

私は、泣き虫な性格で、上映後すぐに泣いてしまいました。

 

 

 

心に残った場面はたくさんあるのですが、クラスの同級生の誕生日会に招待された主人公が、いやいや友人宅を訪問したら、たくさんの人たちに驚いて、パニックになりトイレに駆け込む場面がありました。

 

 

 

実は娘は小学校の時にいじめにあっています。

誕生日会があっても、娘だけは誘われなかったことがなんどもあり、そのことで娘はとても傷付いていたのです。

 

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そんな過去がありましたから、その場面を見て娘がどうかと心配していました。

しかし、娘は最後までまっすぐ画面を見ていました。

 

 

 

私はというと、メンターのお姉さんに励まされる主人公を見てまた大泣きしてしまいました。

娘にもこんなに優しく接してくれるお姉さんがいたらどんなに楽しく学校生活を送れただろうと。

 

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上映が終わっても、娘の表情はいつもと変わりませんでした。

いつの頃からか、感情を出さなくなってしまったのです。

私自身は娘への接し方のヒントを得たととても嬉しく思っていました。

 

 

しかし、帰りの車中で突然娘が私に話しかけたのです。

驚きでした。

 

 

一時的にブレーキとアクセルが判別できなくなり、運転ができなくなりました。

ちょうど目の前にあった駐車場の看板に引き寄せられて、車をとめてタクシーで自宅に帰ることにしました。

 

 

私は、何を娘に話していいのかわからずただただパニックが続いていました。

 

 

「お母さん、私もあの子とおんなじだよ。」と娘が言ったのです。

久しぶりに聞く懐かしい娘の声に感動しました。

 

 

「お母さんに話してくれて、ありがとう。家に帰ってゆっくりと話そうね。」と娘にそういうしかできませんでした。

 

 

あとはただ、ただ、涙です。

 

 

主人はいつもより早く帰宅してくれて、家族3人で話し合いました。

娘は小さな声でこう言いました。

「私もクラスの子と仲良くなりたかった。」

 

 

私はこう言いました。

「中学でダメでも、高校があるし、高校がダメでも大学があるよ。日本の大学がダメでも海外の大学があるから、大丈夫なんだよ。日本がダメで、あなたがダメなんじゃないからね。お願いだから、死ぬことを考えないで。」

 

 

以前娘のノートに「死にたい。」と書いてあるのを発見したのです。

それから、いつか娘が実行するのではないかとそればかりが気がかりでした。

 

 

「大丈夫だよ。あのお姉さんみたいに優しく接してくれる人たちがいるんだから、その人たちがあなたのことを毎日励ましてくださるよ。」

 

 

勝手にサポートセンターさんのことを出してしまいまして、ごめんなさい。

 

 

このブログは私たち家族の希望です。

大変な状況の人でも丁寧に支援を受ければ、変わって行く。

それを本人たちが、彼らの言葉で書いてくださっていることに、心から感謝いたします。

 

 

 

 11月の相談会には娘も行きたいと言っています。

どうか、よろしくお願いします。

 

 

 

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