発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年間ひきこもっていた僕が他者と交流が持てた瞬間。東大

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僕はひきこもっていた。

30年間。

30年間、家族以外誰とも会話をしていない。

 

 

そのような道を選んだわけではない。

何もすることができなかった結果が、それしかなかったという言い方が一番しっくりとくる。

 

 

30年間誰とも話していないと、話し方を忘れてしまう。

以前、笑い方を忘れてしまったと書いたことがある。

同じように話し方も忘れてしまう。

 

 

30年間ひきこもっていた50代男さんに言わせると、彼は歩き方を忘れてしまったとのこと。

30年間家から出ないと、筋肉も異常に痩せ衰えていたらしい。

 

 

 

家族以外の誰かと交流することが、30年間ひきこもった僕の一番の課題だった。

でもどうやって?

 

 

はっきりとしていることは。

誰かと関わるということは、何かをしないといけないということ。

僕が能動的になることを意味している。

 

 

それで、サポートセンターが選んだことは、ボランティア活動。

僕はボランティア活動をすることになった。

事前にボランティア活動に関して十分な説明はあった。

 

 

説明は十分でも、ボランティア活動を熱心にやりたいなんて思わなかった。

スタッフたちには悪いけれど。

ヒロさんのように露骨に嫌な顔をすることは、僕にはできなかった。

 

 

与えられた任務を淡々とこなすことはしなければとは思っていた。

僕に与えられた任務は料理を作ること。

料理なんてほとんどしたことがない僕。

 

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スタッフに言われた通りにやればいいんだからと自分に言い聞かせて、孤児院の厨房に入った。

外は35度の気温の中、厨房で火を使うとどうなるか、僕は立ちくらみがして、厨房から避難した。

 

 

 

スタッフが僕を見つけてこう言った。

「扇風機をつけて、換気扇を回してくださいね。」と。

そんな常識も知らなかった僕。

 

 

 

僕たちボランティアが作った料理をテーブルに並べてお祈りをしてから、食べ始めた。

 

 

僕は、孤児院の子どもたちと混ざって食事をするのが怖くて、スタッフの横で食べようとした。

すると、スタッフは僕を引っ張って行き、孤児院の子どもたちの中に座らせた。

お皿だけを見つめて黙々と食べた僕。

 

 

隣に座っていた5歳くらいの男の子が僕に何か話しかけてくる。

もちろん現地語だから何もわからない。

正面に座っているお姉さん格の10歳くらいの女の子がその男の子に何か話している。

 

 

でも、男の子は両手で顔を隠してしまった。

 

 

突然、お姉さん格の女の子が英語で僕に話した。

「美味しい料理をありがとう。こんなに美味しい料理は久しぶりです。みんなとても嬉しがっています。みんな笑顔でしょ。」

 

その言葉を聞いたのだろうか。

孤児院の先生が立ち上がって、大きな声で「日本の皆さんありがとう。」と言った。

先生に従って、子どもたちも大きな声で「ありがとう」と僕を見て言ってくれた。

 

 

気づいたら、スタッフがいない。

50人近くの子どもの視線が僕に向けられる。

 

 

僕は手が震えていた。

そして30年ぶりに他人の為に涙を流した。

 

 

こんな美味しい料理とは、白飯とチキン一本とサラダだけ。

いつもは白飯に塩をかけて食べているそうだ。

 

 

何も考えることなく、僕は泣いた。

恥ずかしいので、ご飯を残したまま、席をたった。

 

 

この出来事が、30年間ひきこもった後に僕が他者との交流が持てた瞬間なのです。

 

 

ひきこもっている全ての人に。

死ぬしかないと思っているあなたでも、誰かを笑顔にすることはできるのですよ。

 

 

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