学校の先生と仲間たちと
先日も短くご報告しましたが、一人の青年の支援が終了しました。
フィリピンでの学校が終了して、一時的に日本に帰国していた彼です。
日本での用事が終わった後、フィリピンに戻り働くことを選択していた彼に、もう一度今の時点での思いを聞いたのです。
私たちは、フィリピンに帰るまでの数ヶ月間、時間があるのでアルバイトでもしてみたらどうかと提案したのです。
彼は私たちに言いました。
「僕もそう考えていて、アルバイトの許可をもらおうと思っていた。」と。
すでにいくつかのアルバイトを探して、検討もしていたそうです。
感心したのは、アルバイト先を色々と比べてより安心してできるアルバイトは何かを考えたそうです。
さらに「アルバイトは限定で、それ以降就職を考えないといけない。」とも言ったのです。
「もう一度日本で学校にいくか、または職業訓練校という選択肢もある。」とスタッフは彼に提案したのです。
深くうなづいていた彼です。
その次の彼の発言に、私たちはさらに驚かされたのです。
「フィリピンでのレストラン事業は、僕が参加しないことで大丈夫なんでしょうか」とスタッフに聞いてきたのです。
そんなことを心配するまでに、余裕が出てきていることに、私たちは驚いたのです。
卒業式での記念写真
「もし、大変になったら、助けてもらえますか?」とスタッフが改めて彼に聞きました。
「いつでも行きますよ。僕でよければ。」
その時、私は違う人の支援をしていたので、その場にはいませんでした。
しかし、彼が今回事務所に来た時に彼と会ったのです。
一番最初に事務所に来た時のことを覚えています。
それからは彼とは会っていませんでした。
だから、支援が始まった最初の日と支援が最後の日に会ったことになります。
別人になっていましたね。
最初と最後とを比べることができたのですから、確かなことでしょう。
最初に出会った時は下ばかりみていた彼です。
一言も話さなかった彼です。
おどおどしていた彼です。
「こんにちは、遅れてすみません。」の声ははっきりとして爽やかな声でした。
一瞬彼と気づかなかった私です。
「面談するスタッフは少し遅れると連絡が入ったから、別室で待っていてください。」と言いましたら、「わかりました。待たせてもらいます。」との返事でした。
普通の好青年です。
なかなかハンサムな彼なのです。
ふと、私も東大さんと同じように、涙が出そうになっていました。
人は変わるのです。
そして希望を持って歩んで行けるのです。
その人にあった環境を作ってあげれば。
「場面緘黙なんて吹っ飛ばせ」
確か、そんなタイトルでヒロさんがブログ記事を書いてくれていました。
それが彼なのです。
ヒロさんはよくお世話をしてくれましたね。
〈場面緘黙〉だったなんて、忘れてしまっているのでしょうね。
また一人社会に戻って行きました。
東大さんが寂しいと言うのもわかります。
一時期毎日、朝から晩まで支援していましたから。
東大さんも早く家族が持てるように頑張りましょう。
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