発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

母へ。マル

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今日から私は、お休みをもらいます。

少ないスタッフで運営している中で、長期の休みをいただくのは申し訳なく思っています。

 

 

この休みを利用して、家族と一緒に過ごす予定です。

 

 

新規の方からの問い合わせなど、サポートセンターへの連絡がスムーズにいかなくなる場合もあるかもしれませんが、申し訳ありません。

 

 

 

私は、ひきこもっていました。

それ以外にも色々と問題を抱えていました。

 

 

 

長い期間、私は孤独の中にいました。

どうしたらいいのか。

何をしたらいいのか。

 

 

何も考えつかずに、ただ1人で過ごしていたのです。

 

 

両親は長きに渡って、そんな私を支え続けてくれました。

見捨てることをせず、ただただ私の回復を願っていました。

 

 

そんな母親に、 「私は、生まれてこなければ良かった。」と当たったことも何度もありました。

娘の私からそう言われて、悲しそうにしていた母。

 

 

両親も誰かに相談をしたかったのです。

だれかに助けを求めたかったのです。

 

 

しかし、田舎の地域では情報も限られています。

30年前にはインターネットもまだ一般的ではありませんでした。

 

 

みかねた親戚が保健所に相談してくれました。

保健所から職員の方が訪問してくれました。

しかし、会うことをしませんでした。

 

 

時間がたつにつれて、私の状況はどんどん悪くなっていきました。

 

 

そんな時に、私の知り合いが、ある支援団体に問い合わせをしてくれたのです。

それが、今私が関わっている団体〈サポートセンター〉です。

 

 

20年前に青木が訪問してくれました。

会うことはできませんでした。

会うことが怖かったのです。

 

 

 

こんな私なんか、誰も相手にしてはくれない。

希望など持つことができませんでした。

 

 

 

それでも、青木はなんどもなんども自宅に訪問してくれました。

 

 

やがて会うことができ、私への支援が始まりました。

それから、支援が進み、私の状況も改善されていくのです。

 

 

と、なれば良かったのですが・・・。

 

 

 

途中で挫折し、支援がなんども中断しました。

 

 

 

それでも、決して見捨てなかった青木をはじめとするスタッフたち。

 

 

 

私への支援は10年近くを要したのです。

それもほぼ毎日の支援でした。

 

 

 

私は回復したのです。

再び社会に戻ることが、できたのです。

 

 

 

そんな私が、母親と一緒にこの夏を過ごします。

母と過ごすことができる時間も限られてきました。

 

 

 

この夏、母と過ごす中で、どこかでもう一度改めて、声にだして言いたいのです。

「お母さん、ありがとうございました。」と。

 

 

 

私はそう言えるのです。

間に合ったのです。

 

 

ただ、ただ、感謝です。

 

 

 

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