小、中学校の思い出はひどいもんだ。
小・中学校の卒業アルバムはハサミで切り刻んで燃えるゴミとして出した。
嫌な思い出しかないんだな。
「楽しい経験をたくさんすれば、嫌な記憶を思い出すこともなくなる。」と青木さんは言ったけど、「嫌な記憶がなくなる。」とは言っていない。
だから、僕がフィリピンの大学に入学した後で、日本の小・中学校の時みたいに、失敗して周りから無視されたり、殴られたりしたら今度こそ、死ぬしかないと考えた。
「嫌な記憶はなくなる。」ということと「もう嫌な出来事は起こらない。」という2点が保証されない限り、再び動き出すことは無理だと思った。
「嫌な記憶はなくなるよ。でも、嫌な出来事は死ぬまで起こるな。でも、それを乗り越えることができるようにしないといけない。」と青木さんは言った。
僕がひきこもりだったので、いい加減なことを言って適当にごまかしていると思った。
「2つ同時に言わないでくださいよ。と僕は言いましたよね。もう頭が混乱している。今日はもう休んでいいですか。」と青木さんに言った。
「ごめんね。」と青木さんは言って、その日の話はおしまいになった。
でもその後、ずーっと考えていた。
「嫌な記憶がなくなったらすごいな。嫌な記憶のせいで、死んでしまいたいという思いが頭から離れないから。」
「でも、嫌な記憶がなくなるなんてありえないだろう。催眠術か何かを施すつもりか。強い電気ショックを脳に与えれば、記憶が消えるって、インターネットの記事で昔読んだ。」
「やっぱりあの人は嘘つきだ。嫌な記憶が消えるわけないからな。バカにされたんだ。ひきこもっているからってバカにしたんだな。」
そう思ったら、だんだん腹が立ってきた。
青木は嘘つきで、僕たちひきこもりの人を騙している。
許せないと怒りがこみ上げてきた。
それで、あいつを呼び出した。
「ちょっと話があんだけど、来てよ。」ってヤクザっぽく話した。
「あんたさ、嘘つくのはよくないことだよ。それと僕日本に帰りたいからすぐにチケット買って日本に返して。母親にも連絡するからさ。」
目の前のバカを叩き殺したくなった。
こんなにも助けを求めているのに、いい加減なことを言ったバカをぶっ殺す。
これ以上被害者が出ないように。
バカが言った。
「何を怒っているのか教えて欲しい。でないと何を話せばいいのかわからないから。」
「話すことなんか何もない。とにかく俺を日本に返せ。」
「わかったよ。チケットの空きの状況を見てからまた連絡するよ。1時間ほど時間をください。」と言って話は終わった。
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