「ブン」と言います。
韓国の大統領も「ぶん」なんでしょ。
韓国はあんまり好きじゃないので、迷惑だ。
ニックネームですよ。
フィリピンに滞在して、サポートセンターから支援を受けています。
年齢は20代で、小学校4年から学校に行けなくなりました。
理由はいじめられたことです。
その他にも、勉強もできなかったし、みんなと仲良くできなかったからね。
先生はいつも「みんなと仲良くしなさい。」と僕に言った。
でも、僕だけに言って、他の奴らには言わなかった。
「悪いのは俺なのか?」
「俺の何が悪いのか?」
何もわからなくて、それでとても疲れたので、学校に行けなくなった。
1度学校に行けなくなったら、そのまま20才までひきこもってしまった。
〈フリースペース〉とか色々あったけど、行かなかった。
人と関わるのはとても疲れるので、嫌だった。
そしたら、母親が「〈サポートセンター〉という団体の人から、お前にハガキが来たと言って、はがきを僕に手渡した。」
綺麗なデザインのはがきだった。
内容は確か「こんにちは。心配しないで。」とかなんとか。
で、それから2週間に1枚の間隔でハガキが届けられた。
ひきこもってひまだったので、一応読んだ。
ただ、それだけ。
それで、半年ぐらい後になって、「1週間くらい後に、サポートセンターの人がお前に会いに来るよ。」と母が言った。
「部屋を開けたらぶっ殺してやる。」と考えていた。
考えていただけで、多分そんなことはできなかったと思う。
で、来た人は、僕の部屋の前で話して帰った。
話した内容は、「アニメとか音楽とか、最近のテレビやコンビニの美味しいスイーツとか、そんなことだった。」
で、「今、僕が1番好きなローソンのスイーツの◯◯だから、食べてください。」と言って、僕の部屋の前に置いていった。
何しに来たのか、意味がわからなかった。
そしたら、1ヶ月後にサポートセンターがまた来た。
同じ人で同じような話をした後に、「最近読んだ漫画で面白かったんで、君も読んでみたらいいよ。返却しなくていいから。」と言って帰っていった。
だいたい5分くらいで帰っていく。
漫画とやっぱりコンビニのおやつ系が置いてあった。
そんなこんなで、いつしかその人が来るのが待ち遠しくなった。
もちろん、そんなことは親にも言わない。
僕は、部屋の中で息を殺して話を聞くようになった。
話の内容は、その人が不登校だった時の話に変わっていった。
「楽しくやり直せる。」という言葉が、僕の心の中に強く残った。
僕は勉強もできないし、みんなと仲良くもできない。
この世界では必要とされない人間だから、早く死なないといけないのかと思っていた。
その人も同じことを考えていた。
でも、心の底では、「生きたい。」「誰かから必要とされたい。」という気持ちを強く持っていた。
でもどうすれば、良いのかわからなくて、ただ時間だけがたっていった。
でも、僕は少し希望があるのかなと思い始めた。
「希望はあるんだ。君が諦めないかぎり。」という言葉が強く強く僕の心に突き刺さった。
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