発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

諦めない限り希望はあるんだ。ブン

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「ブン」と言います。

韓国の大統領も「ぶん」なんでしょ。

韓国はあんまり好きじゃないので、迷惑だ。

 

 

ニックネームですよ。

フィリピンに滞在して、サポートセンターから支援を受けています。

 

 

年齢は20代で、小学校4年から学校に行けなくなりました。

理由はいじめられたことです。

 

 

その他にも、勉強もできなかったし、みんなと仲良くできなかったからね。

 

 

先生はいつも「みんなと仲良くしなさい。」と僕に言った。

でも、僕だけに言って、他の奴らには言わなかった。

 

 

「悪いのは俺なのか?」

「俺の何が悪いのか?」

何もわからなくて、それでとても疲れたので、学校に行けなくなった。

 

 

1度学校に行けなくなったら、そのまま20才までひきこもってしまった。

〈フリースペース〉とか色々あったけど、行かなかった。

人と関わるのはとても疲れるので、嫌だった。

 

 

 

そしたら、母親が「〈サポートセンター〉という団体の人から、お前にハガキが来たと言って、はがきを僕に手渡した。」

 

 

綺麗なデザインのはがきだった。

内容は確か「こんにちは。心配しないで。」とかなんとか。

 

 

で、それから2週間に1枚の間隔でハガキが届けられた。

ひきこもってひまだったので、一応読んだ。

ただ、それだけ。

 

 

それで、半年ぐらい後になって、「1週間くらい後に、サポートセンターの人がお前に会いに来るよ。」と母が言った。

 

 

「部屋を開けたらぶっ殺してやる。」と考えていた。

考えていただけで、多分そんなことはできなかったと思う。

 

 

で、来た人は、僕の部屋の前で話して帰った。

話した内容は、「アニメとか音楽とか、最近のテレビやコンビニの美味しいスイーツとか、そんなことだった。」

 

 

で、「今、僕が1番好きなローソンのスイーツの◯◯だから、食べてください。」と言って、僕の部屋の前に置いていった。

何しに来たのか、意味がわからなかった。

 

 

そしたら、1ヶ月後にサポートセンターがまた来た。

同じ人で同じような話をした後に、「最近読んだ漫画で面白かったんで、君も読んでみたらいいよ。返却しなくていいから。」と言って帰っていった。

 

 

だいたい5分くらいで帰っていく。

漫画とやっぱりコンビニのおやつ系が置いてあった。

 

 

そんなこんなで、いつしかその人が来るのが待ち遠しくなった。

もちろん、そんなことは親にも言わない。

僕は、部屋の中で息を殺して話を聞くようになった。

 

 

話の内容は、その人が不登校だった時の話に変わっていった。

「楽しくやり直せる。」という言葉が、僕の心の中に強く残った。

 

 

 

僕は勉強もできないし、みんなと仲良くもできない。

この世界では必要とされない人間だから、早く死なないといけないのかと思っていた。

 

 

その人も同じことを考えていた。

でも、心の底では、「生きたい。」「誰かから必要とされたい。」という気持ちを強く持っていた。

 

 

 

でもどうすれば、良いのかわからなくて、ただ時間だけがたっていった。

 

 

 

でも、僕は少し希望があるのかなと思い始めた。

 

 

「希望はあるんだ。君が諦めないかぎり。」という言葉が強く強く僕の心に突き刺さった。

 

 

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