親を許すことなんか、簡単にはできない。
したくなかった。
こんなふうにしたのは、親だと思っていたから。
小、中と不登校。
高校は1学期で退学。
そして長期ひきこもる。
その全ての責任は親だと思っていた。
僕がひきこもっていた時期には、許すなんていうことは考えたことがなかった。
しかし、フィリピンに来て、新しい生活が始まった。
とにかく楽しいことをさせられた。
させられたという表現を目にして、読んでいる人たちは<?>だろうな。
僕たちのようにひきこもっていた人たちは、自分自身をダメな人間だと心の底から思い込んでいる。
そんなダメな人間が、人様と同じような楽しいことなんかしてはいけない。
そんなことをしたら、世間様から後ろ指を指される。
そう思っている人たちは僕だけじゃないだろう。
だから、何もしないんだ。
南国フィリピンに来ても、何もしようとはしない僕たち。
だから、半強制的に<楽しいこと>をさせられる。
半強制的でも<楽しいこと>をやってしまえば、あ〜ら、不思議。
僕は楽しめちゃったんですよ。
僕たちひきこもっていた人間でも、普通の青年なんです。
<楽しいこと>がしたいんですよ。
楽しいことを積み重ねていって、僕の頑なな心が柔らかくなっていった。
他の人たちとコミニュケーションが取れるまでになっていく。
そして、大学進学。
そこでの新しい生活。
彼女もできた。
<楽しいこと>がさらに積み重なっていく。
そんな生活が進んでいって、ふと我にかえったら、母親のことを忘れていました。
ひきこもっていた時期、毎日のように母親と繰り返していた冷戦を、嘘のように忘れていた。
ただ、大学の授業についていくのが辛くなった時なんかは、母親への憎しみが蘇ってきたりした。
思い出したり、忘れていたり。
そんな状況の感覚がだんだん長くなっていた。
そして、サポートセンターのスタッフとのやり取りの中で、はっきりと(親を許さなければならない)そうしなければ、親への憎しみの気持ちに延々と支配されていくことを知った。
そこらあたりから、(親を許したい)と思うようになった。
もう1度書き直すと、自分が幸せを感じられたから、許すことをしたいと積極的になれたんだと思う。
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