発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

憎しみの心に支配されていた僕 大バカ野郎

f:id:smilehousejapan:20190519134850j:plain


 

 

 

親を許すことなんか、簡単にはできない。

したくなかった。

こんなふうにしたのは、親だと思っていたから。

 

 

 

小、中と不登校

高校は1学期で退学。

そして長期ひきこもる。

 

 

その全ての責任は親だと思っていた。

 

 

僕がひきこもっていた時期には、許すなんていうことは考えたことがなかった。

 

 

 

しかし、フィリピンに来て、新しい生活が始まった。

とにかく楽しいことをさせられた。

させられたという表現を目にして、読んでいる人たちは<?>だろうな。

 

 

僕たちのようにひきこもっていた人たちは、自分自身をダメな人間だと心の底から思い込んでいる。

そんなダメな人間が、人様と同じような楽しいことなんかしてはいけない。

そんなことをしたら、世間様から後ろ指を指される。

 

 

 

そう思っている人たちは僕だけじゃないだろう。

 

 

だから、何もしないんだ。

南国フィリピンに来ても、何もしようとはしない僕たち。

 

 

 

だから、半強制的に<楽しいこと>をさせられる。

 

 

 

半強制的でも<楽しいこと>をやってしまえば、あ〜ら、不思議。

僕は楽しめちゃったんですよ。

 

 

 

僕たちひきこもっていた人間でも、普通の青年なんです。

<楽しいこと>がしたいんですよ。

 

 

楽しいことを積み重ねていって、僕の頑なな心が柔らかくなっていった。

他の人たちとコミニュケーションが取れるまでになっていく。

 

 

そして、大学進学。

そこでの新しい生活。

彼女もできた。

 

 

<楽しいこと>がさらに積み重なっていく。

 

 

そんな生活が進んでいって、ふと我にかえったら、母親のことを忘れていました。

ひきこもっていた時期、毎日のように母親と繰り返していた冷戦を、嘘のように忘れていた。

 

 

 

 

ただ、大学の授業についていくのが辛くなった時なんかは、母親への憎しみが蘇ってきたりした。

 

 

 

思い出したり、忘れていたり。

そんな状況の感覚がだんだん長くなっていた。

 

 

そして、サポートセンターのスタッフとのやり取りの中で、はっきりと(親を許さなければならない)そうしなければ、親への憎しみの気持ちに延々と支配されていくことを知った。

 

 

そこらあたりから、(親を許したい)と思うようになった。

 

 

もう1度書き直すと、自分が幸せを感じられたから、許すことをしたいと積極的になれたんだと思う。

 

 

 

下記バーナーのクリックを押してください。

 

 

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 

いつもご協力をありがとうこざいます。

    1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。