発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

否定し続けた親と対峙すること。大バカ野郎

f:id:smilehousejapan:20190518091334j:plain


 

 

朝食を食べているときに、色々と考えていた。

考えていたことは家族のこと。

家族といっても、今は母親しかいないんだけれど。

 

 

 

で、亡くなった父親と祖母と今でも日本で1人で暮らしている母のことを考えていたら、涙が止まらなくなった。

 

 

 

そのとき、頭の中で思い巡らせていた考えが結論のように感じた。

と同時に、僕が長い期間、抱え込んでいた問題が、問題でなくなったことを再認識した。

 

 

 

僕が大きな問題だと感じていたこと。

 

 

不登校だったこと?

学校の勉強に全くついていけなかったこと?

クラスの人たちから嫌われていたこと?

 

 

 

それらは確かに大きな問題だった。

しかし、僕の1番の問題は家族との関係だった。

 

 

 

僕は家族に愛されたかった。

どんな子どももそうでしょ。

両親からの愛情を必要としている。

 

 

特に、僕はとても親からの愛情を求めていた。

今まで書いてきたように、僕にとって家の外の世界は不安なことばかり。

誰も僕と接点を持ってくれなかった。

 

 

 

それだからこそ、人一倍親からの愛情を求めていたんだ。

しかし、親からもらったものは、愛情と感じるものではなかった。

僕が求めていたものではなかったんだ。

 

 

 

だから、そんな親を僕は激しく憎んだ。

 

 

 

憎み続けた。

決して許すことはなかった。

 

 

 

 

僕が、もっとも欲しいものを与えなかった親の存在を否定したかった。

 

 

 

その感情を今まで持ち続けていたけれど、あえて外に出さずに封印していた。

 

 

 

どうしてかって?

僕が心の中にためていたものを親に言えば良いだって?

 

 

 

何もわかっちゃいないな。

何もわかっちゃいない。

 

 

言っても、理解してくれる親じゃないことはわかっていたさ。

理解してくれるなら、とっくの昔に言っているんだ。

 

 

 

言ったところで、「お前ね、何を言っているんだ。お父さんも、お母さんも、お前に対して、十分とは言えないかもしれないけれど、一生懸命やってきたつもりだよ。」

 

 

 

いや、いや、こんな会話もできないうちの親たちだ。

ただ、黙っているだけ。

会話なんて成り立たないんだ。

 

 

 

それがわかっているから、僕はこんなにまで引き込もっていたんだよ。

わかってもらえるかな。

 

 

青木さんやサポートセンターのスタッフたちはわかってくれたよ。

だから、僕の心の中にあるもの全部を吐き出した。

吐き出しても良いと思える人たちだったから。

 

 

 

 

時間はかかったけれどね。

 

 

 

でもサポートセンターは整理をしてくれる人たち。

最終的に問題を解決するのは、僕自身だということ。

 

 

 

僕が親と面と向かって、お互いに理解する努力が必要なんだ。

 

 

いや、親は理解できないんだ。

理解できない親をどう僕が受け止めるかが、僕が抱え込んでいる問題の全てだ。

 

 

 

下記バーナーのクリックを押してください。

 

 

 ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 

いつもご協力をありがとうこざいます。

    1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。