サポートセンター代表の青木は56歳になる。
小学校の時に不登校だった。
1年時から不登校だったとのこと。
その原因は?
学校が怖かった。
学校の何が怖かったのかというと、「全て。」だと言う。
青木は他の生徒に比べて、苦手なことが多かった。
運動、勉強、集団行動。
その全てにおいて失敗ばかり繰り返していた。
僕は、昨日のブログで「失敗を通して、僕たちは色々なことを学んでいく。」と書いた。
しかし、失敗したその中身を詳細に本人にわかるように説明してくれる人がいなければ、失敗は苦い経験でしかなく、重ねるたびに自信を無くしていく。
青木がそうであったように。
火災の避難訓練。
警報がなったら、つぎに何をするかがあらかじめ決められています。
そのことを担任の先生が口頭で説明します。
しかし、話をうまく聞き取れない青木は、理解ができません。
また、警報の時の大きな強い音がとても苦手で、時々頭が混乱してしまうことがあったそうです。
それでクラスのみんなが、廊下に並んで一斉に、しかも足早に校庭に整列しても並ぶことができずに、そのまま教室に佇んでいたそうです。
担任の先生に「自分勝手な行動をするな。」とみんなの前でひどく罵られて、叩かれたそうです。
また運動会の組体操も全く理解できない青木でした。
クラスのみんなからしたら、青木は邪魔な存在でしかありません。
やがていじめられて、クラスから排除された青木です。
それでも、学校に行きたかった青木は登校し続けるのですが、いじめは暴力となり、彫刻刀で頭を切りつけられてからは学校に行けなくなったのです。
もし青木が失敗した時に、誰かが丁寧に寄り添って、できるまで指導してくれたならば、青木はやれたのです。
事実、小学校4年、5、6年時の担任がそのような先生だったのです。
そのくだりは青木が以前ブログに書いていますので読んでみてください。
青木は、小学校低学年時、学校生活で失敗を繰り返してきた。
そして自信を失い、同級生から暴力を振るわれて不登校となった。
しかし、理解ある先生方との出会いから、青木は変わっていく。
勉強がオール1で不登校だった青木が、勉強と運動で頭角をあらわし、クラスの代表から生徒会の役員に選ばれ、弁論大会で学校代表となる。
柔道では市の大会で優勝するまでになる。
「自分は何もできない子どもだと思っていた。死んでしまった方がいいと小学校で考えた。でも、できないのではなく、やり方がわからなかっただけなんだ。」
「青木はダメじゃない。」とはっきりと言ってくれた先生のことを、今でもはっきりと覚えているそうです。
小学校、中学校で先生が、「学校は失敗して、学んでいくところです。だから失敗を恐れないで、そして失敗してもバカにしたりしないこと。」
そんなふうに繰り返し生徒に話してくれていたら、きっと青木は学校に怖さを感じることはなかったと思う。
学校生活で自信を失った。
でも、学校生活で自信を得た。
できるならば、全ての子どもが学校生活を通して、自信を勝ち得て、他者に対する思いやりの心を育むことができるようにと願うばかりです。
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