発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

他の兄弟とは違うことをご理解ください。ヒロ

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僕は小、中と学校の勉強がわからなかった。

最初の頃はもちろん真面目に授業を聞いていた。

しかし、先生が話していることがわからない。

 

 

わからないままにどんどん授業は進んでいく。

時間がたてばたつほど、僕は学校の勉強がわからなくなっていった。

 

 

母親はそんな僕をかわいそうに思った。

なんとかして愛する息子を笑顔にさせたい。

そして母親は心を鬼にして、僕と対峙することになった。

 

 

「勉強がわからない。」と言う僕に対して、「勉強しなければわからない。」と教えてくれた。

それでも勉強をしようとする姿勢が見えない僕に対して、強制的に勉強をさせようと試みた。

 

 

勉強しない僕を叩いた。

僕をひどく傷つける言葉を言って、僕を奮い立たそうともした。

 

 

それでも、僕は何も変わらない。

 

 

僕は僕で、不真面目ではなかったんだ。

ただ、先生の話すことが頭に入っていかないだけなんだ。

しかし、それを母親は「授業中によそ事を考えている。」と捉えたんだろう。

 

 

 

僕の大好きな〈ドラゴンボール〉を僕から遠ざけようとした。

今までは黙って、母親のいいなりになっていたけれど、このことに、僕は腹を立てた。

 

 

初めて母親に抵抗した。

しかし、まだ小学校の低学年だったから、」簡単にひねり潰された。

 

 

母親はなんとかして、僕が良い成績を取れるようにと色々と考えた。

言って聞かせても、従わないから、痛いめに合わせようとしたのは仕方がなかったことなのか。

 

 

鉛筆を僕の手に輪ゴムで縛り付けた。

とても、とても痛かった。

 

 

真冬の夜に、パンツ一丁にさせられて、ベランダに追いやられた。

 

 

ご飯を食べさせてもらえなかった。

 

 

 

息子をなとんかしたい。

息子のために。

母親の深い愛情の現れ。

 

 

僕は年を追うごとに、身体も大きくなっていった。

そして、中学に入学する頃には、母親の脅しは僕には全く効果がなくなった。

 

 

 

それどころか、今までの恨みを晴らす時がきたと僕は思った。

そして、実行。

 

 

母親に対しての暴力と暴言。

家庭は安心できる場所ではなく、修羅場と化した。

 

 

僕の母親は、僕が良い成績を取ることを望んだ。

父のように大手の企業に入社できるのだからとよく僕に言った。

 

 

しかし、母の願い通りにはならなかった。

それどころか、警察にお世話になるような人間になってしまった。

 

 

母にも僕にも希望はなくなっていた。

 

 

 

僕は発達障害の2次障害で、家庭内暴力やひきこもっている子どもを持つお母さんの相談に多くのった。

 

 

そして、そこで、昔の僕の母親となんども出会った。

お母さんたちは、僕に言う。「息子のためになんとかしたいと思って。」

 

 

その言葉を聞いた僕は、ただ深いため息をつくしかなかった。

 

 

 

今日も日本のどこかで、同じ光景が繰り返される。

 

 

 

心から願っています。

母と子がともに笑いあう時が来ることを。

 

 

 

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