発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

優先順位がわからないアスペルガーな僕。東大

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事務所から電話がかかってきた。

支援している人が、使った金額を知りたいとのこと。

僕は忙しくて報告を怠っていた。

 

 

 

ついでに新しく作る団体のパンフレット用の写真、とこの3月で学校を卒業して、帰国する人の荷物運搬のための写真を撮ることも催促された。

 

 

3つのことをお願いされました。

 

 

で、昔の僕ならパニックになるのです。

何を優先していいのかわからないからです。

 

 

優先も何も、3つのことをやり終えるのに1日も掛からないのではと読者の皆さんは思うでしょうね。

 

 

 

しかし、昔の僕はパッニックになったのです。

パニックにならないためにどうするのか。

支援を受け続けてきた今ならわかります。

 

 

優先順位の順番を聞けばいいのです。

使ったお金の金額が1番、パンフレット向けの写真が今週中で2番目、来週の火曜日までに室内の写真を撮ることが3番目。

 

 

相手に聞けばいいのです。

自分で考えてもわかるわけないのですから。

 

 

東京大学大学院で研究をしていました。

一つのテーマをそれぞれのチームが調査していたのです。

僕は研究のデータを集める係でした。

 

 

しかし、僕に最初に任せられていた仕事以外に他の研究員から、どんどん違う実験を頼まれるのです。

 

 

1つの実験でさえ、正確なデータが要求されます。

それなのにそんなに多くの実験なんかできるわけがない。

また、優先順位もわからなかった。

 

 

しかも、はっきりと「できません。」といえば、それですむことなのに、「できません。」が言えなかった当時の僕です。

 

 

「できません。」と先輩研究員に言うとがっかりされて、そのあとどのようにコミニュケーションをとればいいのか、わからなかったのです。

 

 

「できません。」と言ったが最後、みんなから除け者にされるのではないかと、不安にも思っていました。

 

 

でも、時間だけが経っていきます。

みんなは僕の実験結果を待っています。

それがなければ、チームに大きな迷惑をかけてしまいます。

 

 

朝一番に研究室に行き、帰りは日付が変わるまで頑張っていたぼくです。

しかし、眠れなくなりました。

怖い夢を見ました。

 

 

とうとう、不安が強くなって、家から出られなくなってしまいました。

 

 

心配した母が、担当教授に面会を求めました。

そしてはっきりと教授に言ったのです。

 

 

「息子は優しい性格なので、頼まれれば嫌とは言えないのです息子は無理をしてしまったのではないでしょうか。」

 

 

研究チームを離れた僕は大学院終了とはなりません。

しかし、母が教授に強く言って僕は終了と認定されました。

 

 

今思えば、僕がはっきりと「お手伝いしたいのですが、ごめんなさい、担当している自分の研究で手が一杯です。」と断らなければならなかったのです。

 

 

 

そして、そのケースは僕が自分を変える良い機会でもあったのですが、残念ながら、僕は30年間、なんら成長もせずに生きて来ました。

 

 

しかし、今支援を受け、僕の自己理解が進んだのです。

 

 

 

今ならはっきりと言えるのです。

「僕にはできないのです。ごめんなさい。」と。

または、「優先順位はどれからですか?」と。

 

 

 

 

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