サポートセンターをインチキ集団だと僕は決めつけていました。
それ以来、サポートセンターのことは考えませんでした。
しかし、時間が虚しく過ぎていくだけでした。
その間に、母親は僕に内緒で、サポートセンターに相談に行っていました。
母親はブログを読んで、この人たちなら、息子を回復させてくれると信じたのです。
母親も(なんとかしたい)と思っていたらしいけど、何もできないことがわかったので、お願いするしかなかったのです。
でも、どうしたら僕がサポートセンターを信じて、家から出るのかが大きな問題でした。
ただ、母親は、僕が助けを求めていることはわかっていたので、サポートセンターのスタッフが、訪問を繰り返してくれたら、そのうちにスタッフを信じて、家から出るのではと思っていたそうです。
それで、サポートセンターの人が僕の家にやってきました。
事前に食卓テーブルに置いてある紙に、スタッフがやってくることが書いてありました。
僕は<来るべき時がきた>と覚悟しました。
奴らが腕づくで僕を拉致しようとすることを予想して、部屋の窓を開けておいて、サンダルをバッグに入れておきました。
とにかく窓から飛び出して、近くの警察署まで走ることを準備しました。
その日やってきたのは女性でした。
「◯◯と言います。△△さんにお話がしたくて、サポートセンターから来ました。何も心配はいりません。安心してください。部屋のドアの前でお話してもいいですか。」と言った。
騙されはしない。
家の外には窓に目隠しをしたワゴン車と屈強な男たちが準備しているんだ。
絶対に騙されてたまるか。
拉致された時に抵抗するために、ポケットにハサミを隠し持った。
相打ちにするつもりだった。
「部屋の前まで行ってはだめなら、なにか音を出してください」と言ったので、思いっきり足でドアを蹴った。
「わかりました。今日は帰ります。でも、どうか私たちを信じてください。簡単には信じられないのはわかります。また来ますのでよろしくお願いします。」
僕は2階に移動して、カーテンの隙間から本当に帰ったかを確認した。
女性スタッフが駅の方に歩いていく後ろ姿が見えた。
他には誰もいなかった。
少し安心した。
どっと疲れが出て、そのまま倒れこむように寝てしまった。
その日、夢を見た。
ひきこもることしかできない僕は、拉致された後、強制労働収容所で足に鎖を繋がれて、毎日働かせられていた。
収容所の所長は言った。
「お前たちのようなゴミに日本国は税金を払わない。お国のために働くんだ。そしたら、生きることだけは許してやる。働くことを拒否したら、こうなるんだ。」
1人の青年の処刑が僕の目の前で行われた。
怖い夢だった。
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