発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

みんなから取り残されるのは嫌なんだ。山田

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僕は長いこと頭の中が混乱していた。

小、中と学校に行くことはその混乱を大きくするだけだった。

 

 

みんなができることが僕にはできない。

 

 

そのことが僕を悩み苦しめてきた。

 

 

みんなはあからさまに僕を拒絶はしなかった。

その理由は僕が勉強ができたからだと思う。

これで勉強ができなかったら、クラスから排除されただろうな。

 

 

拒絶はされなかったとしても、仲間には入れてもらえなかった。

入れてほしいと思ったけれど、その反面、仲間に入る資格はないと自分でわかっていた。

 

 

 

とにかくみんなができることを、僕もできるようになればいいんだ。

これ以上みんなと距離を離されたくなかった。

 

 

クラスでギターが流行った。

それで、僕も母親にギターを買ってもらった。

 

 

父親が昔ギターをやったていたので、教えてもらうといいと母親から言われたので父親に教えてほしいと頼んだ。

 

 

 

そしたら「いそがしくて教えられない。」と断られた。

仕方がないので、楽器店で購入した教則本を見て練習した。

でも、わからない。

 

 

そのうち、ギターの弦が切れてしまった。

どうして良いのかわからなかった。

「楽器店に聞きに行けば良いだけ。」

今ならそうわかります。

 

 

しかし、その時は怖くて聞きに行けなかった。

でも、みんなと一緒にギターの話題について行きたかった。

だから、ギター教室に行くことにした。

 

 

 

ギター教室に友達がいると怖かったけれど、店の人に聞いたら若い人は僕だけだった。

この機会をものにすれば、みんなと肩をならべられる。

しかし、逃したら、死ぬしかないと思っていたので、毎日毎日気が狂ったように練習した。

 

 

ギターの先生は、おじいさんだった。

でも、僕が一生懸命やっていたので、いつも嬉しそうにしていた。

 

 

 

音楽の授業で夏休みの課題が、楽器演奏だった。

絶対にみんなを驚かせてやる。

驚いているみんなの前で、僕は余裕を見せるんだ。

これで、みんなから仲間はずれにはされないな。

 

 

朝起きてから、夜寝るまでギターを弾いた。

おじいさん先生が、「プロのギタリストでもなりたいのか」と聞いてきたので、夏休みの課題のことを話した。

 

 

僕の演奏曲は「アルハンブラ宮殿の思い出」に決まった。

 

 

今から考えたら、4ヶ月程度で挑戦するような曲じゃないのに、当時の僕はかなりすごかったと思います。

 

 

そして、夏休み明け。

自信満々でその日を迎えた僕は、みんなとの距離を一気に縮める最大のチャンスを前に身震いしていた。

 

 

しかし!!

結果は。

大変な間違いを起こした僕なのです。

 

 

まあみなさん、僕のバカさを聞いてください。

よろしくお願いします。

 

 

 

明日も書きたいので書きます。

 

 

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