発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

2016年の春僕は一歩を踏み出した。Mr.Joe

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         午前2時閉店後の会計の締めです。
 

 

 

中学校から、学校に行けなくなりました。

中学終了後は、頑張って高卒認定試験に合格しました。

その後、アルバイトも試してみたんですけれど、ダメでした。

 

 

それから、20年間ひきこもりました。

 

 

両親がサポートセンターの講演会を聞いて、(大人の引きこもりの支援をしてくれるのは、ここしかない)と判断して、相談に乗ってもらいました。

 

 

しかし、両親が相談をしてから、僕が動くまで1年間もかかりました。

理由は、再び社会に戻ることが不安だったので、今更支援を受けても無理だと思い込んでいたからです。

 

 

しかし、サポートセンターの熱心さに、僕の頑なな心が少し開いたのです。

 

 

そして、名古屋事務所へ通い、社会復帰するべく毎日頑張りました。

 

 

基本的なマナーや社会常識などをスタッフから、優しく教えてもらいました。

中学から外の世界と繋がっていないわけですから、年齢は30代後半でしたが、中身は中学生のままでした。

 

 

 

あまりにも知らないことが多いということに気付いた僕は落ち込みました。

憂鬱になりました。

希望より、失望の方が大きくなりました。

 

 

サポートセンターをきっかけにして、行政機関がやっている就労支援を使うということになりましたが、35歳以上は対象外と言われました。

 

 

 

それは事前にわかっていたことですが、なんとか頼み込めば相談に乗ってくれると思いましたが、ダメでした。

 

 

ハローワークにも行きましたが、20年間ひきこもっていて、何も就労経験がないことで、すぐに仕事を見つけるのは難しいと言われました。

 

 

またこの時、訪ねたハローワークの雰囲気に圧倒されて、2度とハローワークに行けなくなりました。

 

 

たくさんの人が必死に仕事を探しているのです。

僕が求人の一覧をみていたら、「にいちゃんな、にいちゃんだけが仕事を探しているんじゃないんだ。もっと早くみてくれんかな。」と後ろにいる人に怒られました。

 

 

僕を見つめる目と目と目。

 

 

 

仕事につくことが、どんなに大変なのかがこの時理解しました。

 

 

それに僕は生まれつき、ゆっくりな性格なのです。

ですから、「自分の性格にあった仕事を選ばないといけない。」とサポートセンターのスタッフに言われました。

 

 

僕は困ってしまいました。

日本では、アルバイトなら見つかります。

でも、僕の年齢でアルバイトをしてしまうと、そのままで人生が終わってしまうということはわかっていましたので、アルバイトはしませなんでした。

 

 

 

悩んでいるぼくに、青木さんが「一度、海外を見てみませんか」と僕を誘ってくれました。

 

 

 

海外には行ってみたいと思っていましたから、その提案に乗りました。

2016年春、僕はフィリピンに渡りました。

2週間の視察旅行の予定が、楽しすぎて、いまだにフィリピンに滞在しています。

 

 

明日以降、2年間のフィリピン滞在期間で何をしていたのか?そして何が変わったのかをお伝えします。

 

 

3日目には、僕が就職した観光会社のことを紹介します。

 

 

僕が就職する会社のことや僕の勤務地についても、書いてもいいことになりましたので、皆様からの応援をお願いしたくて、書いていきます。

 

 

どうぞ、よろしくお願いします。

 

 

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