発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

アスペルガーな僕の何が問題だったのか 東大

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東京大学大学院での研究室。

とにかく、みんな成果を上げるために、寝食を削ってまで研究に没頭していた

それぞれに役割が分担されていた。

 

 

それと、期日が設けられていて、その時までにデーターを提出しないといけない。

チームワークで動いているのだから、一人一人に責任が任せられている。

 

 

僕も期日までにデーターを提出しなければならなかった。

 

 

みんなはデーターを出した。

しかし僕は、決められた日までにデーターを出せなかった。

それが大きな問題となった。

 

 

なぜならば、その研究室が取り組んでいた課題が、僕がデーターを出せなかったことで止まってしまったから。

僕たちが取り組んでいた「課題」は、他国の大学でも研究がなされていた。

 

 

僕が所属する「東大大学院」が、その課題の結果を真っ先に出すだろうと、周りは思っていた。

しかし、そうならなかった。

 

 

その責任は僕にあった。

 大きなミスを犯してしまった僕。

教授からの叱責。

 

 

僕は怖くなり2度と研究室に行けなくなってしまった。

 

 

その時には、自分の何が問題なのかがわからなかった。 

ひきこもっていても、時々どうしてこうなってしまったのかと、自問自答していた。

しかし答えは見つからずに30年がたった。

 

 

引きこもり状態から、一歩外に踏み出して、サポートセンターでお世話になった。

 

 

新しい環境に僕が慣れたら、色々なことを任せられた。

しかし、ことごとく失敗に終わる。

30年前と同じだ。

 

 

いや違う。

失敗したら、すぐその場で、どうして失敗したのかを教えてもらえた。

優しいサポートセンターのスタッフたちが、心底丁寧に、どこで間違えたのかを教えてくれたのだ。

 

 

そしてまた仕事をする。

しかしまた間違える。

 

 

でも、以前とは違うのだ。

どうして間違えたのかを、指摘されるわけだから、少しは成長しているのだ。

 

 

そんなことを数年間続けていけば、30年前と比べて、格段に間違えることをしなくなった。

 

 

もちろんどんなに頑張っても、苦手なことは依然として残る。

 

 

僕は耳から聞いた情報を、整理することがとても苦手だ。

というより、理解できずに聞き流してしまう。

だから一度にいくつかの作業を任せられたら、それに優先順位をつけることができない。

 

 

30年前も、そのことで失敗したんだ。

 

 

しかし、それも、毎日の徹底した練習でうまくこなせられるようになってきた。

 そして今は、仕事に就くことができるまでになった。

 

 

「本当に変わったね。」と5年前の僕を知っているスタッフたちが、僕の成長を認めてくれる。

 

 

自己理解。

そして、弱点克服の為に練習につぐ練習。

 

残念ながら、僕たち程度の悪いアスペルガーは、自分1人ではどうすることもできないのです。

 

 

やはり支援してくれる人がいて、初めて僕たちは成長することができるのです。

 

 

今、僕は1人の青年の支援をしています。

不安が強くて学校をやめてしまった青年。

自信を無くして、5年間ほど自宅から出られなくなってしまっていた青年。

毎日朝から晩まで彼を支援することで、現在、学校に行き続けることができています。

 

 

30年前の僕のような彼。

彼が僕のように、人生を無駄にしないようにと願って、支援を続けています。

 

 

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