発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

男性から女性になった17歳の少年の支援。東大

 

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17歳から5年間支援をしている「バード君」が現在学校に休まず通っています。

 

 

パニックになると両手を横にまっすぐ伸ばし、上下にうごかす動作が「鳥」に似ているところから「バード君」とニックネームがつけられました。

 

 

実際アスペルガーと診断され、サポートセンターで支援を受けている人の中に、パニックになると両手をバタバタと動かす人が少なからずいます。

 

 

ちなみに僕は後ろで右手と左手を交互に掴んでフラフープをするときのような動作をしてしまいます。

 

そんなバード君。

小、中とほとんど登校していません。

家にひきこもって、ゲームざんまいの日々でした。

 

 

サポートセンターに支援の依頼があった後に、1回目の訪問で彼と会うことができ、サポートセンターの支援に繋がったのです。

しかし、それからがとても大変な支援となるのでした。

 

 

一言でいうならとても強い「こだわり。」があったのです。

言い換えれば、彼なりの「マイルール」です。

 

 

これでは学校に通い続けるのは難しいと思うほど、「こだわり」はとても強かったのです。

 

 

例えば彼は「赤色」がとても好きなのです。

いいえ、赤色しか見えていないのです。

髪の毛は「赤毛

上下真っ赤な服装で、シューズも赤。

 

 

バッグも赤。

赤鉛筆にボールペンも赤色しか使いたくない。

 

 

フィリピンの入国審査書は彼に赤色のボールペンで書かせて、スタッフが黒のボールペンで書いたものとすり替えて、入国審査のブースにはスタッフが「ハンディがあるので、代わりに受け答えをしますと言って素早く入国審査書を提出したのです。

 

 

実はこのときのスタッフが僕でした。

いやあ、本当に思い出すだけで、疲れてしまうほどです。

 

 

 

それ以上に「どうして」と思ったのが「女装です。」

支援に繋がってすぐに、「女に生まれ変わりたい」と言いだしました。

支援をするための研修をしていた僕はひっくり返りそうでした。

 

 

そしてすぐに彼が赤色のブラジャーをしているのがわかったのです。

すぐにスタッフ会議を開きました。

ご両親からは「性的」なことについては何も報告を受けていないのです。

 

 

彼に「ご両親はあなたのこの様子を知っているの」と聞いても何も答えてくれません。

 

 

もしサポートセンターから「実は息子さんは・・・・・・」と言ったとしたら大変なことになるでしょうね。

 

 

お父さんは昔ながらの頭のとても硬い方でしたので、「言うべきか。言わないべきか」と僕たちは長いこと悩みました。

 

 

結局青木の見方をスタッフは信じました。

 

 

 

現実逃避をする為の「女装」だと青木は見ていたのです。

「とにかくこのまま日本にいると色々と問題が起きてきて、支援どころでなくなる。」

 

 

 

こうして、「バード君」は南の島に移動することとなりました。

 

 

 

明日に続きます。

 

 

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