発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

生産性のない僕は生きることは許されない。東大

 

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「東大さん笑ってください!!」となんども言われた。2013年フィリピンにて

 

 

 

結婚。

正直なところ、あまり深く考えていなかった僕です。

 

 

 

大学院終了後は、担当教授から推薦を受けた企業に就職し、数年経って落ち着いた頃に、世話好きな親戚が勧める見合いで出会った女性と結婚する。

 

 

それが僕の結婚だったでしょうね。

 

 

翌年に子どもを授かります。

3年後には第2子を授かるのかな。

 

 

僕は子どもは嫌いではないですが、正直子どもと一緒に何をしたら良いのか考えつかない僕でした。

僕も親と一緒に遊んでもらった記憶はないですから。

 

 

結婚した相手とは淡々とした日々を過ごして行くでしょうね。

夫婦の唯一の楽しみは子どもの成長なんでしょう。

やがて子どもたちが独立しそれぞれの家庭を持ち、孫に恵まれる老後。

 

 

僕の趣味は城や歴史的建造物、博物館などを見て回ることです。

できたら1人でゆっくりと気の済むままに時間を過ごしたいのです。

 

 

それが昔の僕でした。

 

 

それがフィリピンに来て変えられ始めました。

一言でいうならば、人生を楽しむということ。

そして相手を楽しませることの重要性に気付いた僕です。

 

 

とにかく自信を失ってしまっていた僕でした。

こんなはずではなかった!!

どんどん時間は過ぎていき、50代に突入してしまった時、もう何も自分に期待することはしないように決めたのです。

 

 

だから、青木が毎月僕宛に送ってくれるハガキがうざくて仕方がありませんでした。

会いたいとの申し出も無視していましたし。

 

 

そんな僕です。

そんな僕がフィリピンに来て言われたことが「今という時間を楽しみましょう。」です。

 

 

「今まで、ぼーっとしていたんだから、これから残された時間は徹底的に頑張らないといけない。わかったら返事をしろ!!」

 

 

当然そんなことを言われても仕方がないとは覚悟していました。

しかし、「人生を楽しむ。毎日悔いが残らないように遊ぶ。」

「???」

 

 

僕には理解できませんでした。

 

 

きっと、気を許したら、1ヶ月後にはコンテナに押し込まれ、チャイニーズマフィアに香港の裏市場に売り飛ばされるのではないか。

 

 

こんなに歳を取っても、内臓や腎臓など 使えるものはまだあるはずだから。

 そんなことまで考えたくらいです。

 

 

またこうも思いました。

 

 

「30年間部屋でじーっとしていて、何も生産的なことはしていない僕が、楽しむことなんかしてはいけないし、世の中の人は誰もそれを許してはくれない。」

 

 

 

とにかく怖いんです。

他人の視線が怖くて仕方がなかった。

みんなが、僕に石を投げたり、唾を吐く。

そんな気がして仕方がなかった。

 

 

前にも書きました。

今以上に管理化された日本政府は、僕たち生産性のよくない人間を選別して、焼却場へ送る。

 

 

そんな夢をよく見ていました。

 

 

そんな僕が人生を楽しめるわけがないし、楽しんではいけないんだ。

 

 

僕はもっともっとひどい目にあって当然な人間なんだ。

そう頑なに信じていた僕です。

 

 

すみません、昔のことを思い出したら、呼吸ができなくなってしまいました。

 

 

明日にまた続きを書きます。

 

 

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