発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

中華料理店で働き始めました。これも良い経験。Mr.Joe

 

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様々な良い経験を与えてください。育てにくい子どもならなおさら!!

 

 

 

サポートセンターと出会う前と出会った後での違い。

それは自分の良さを引き出せたことです。

 

 

 

僕は他の人とかなり違うことがあります。

考えて答えを出すことが特に苦手です。

ですから人と関わっていても、ワンテンポみんなから遅れてしまいます。

 

 

 

特に中学時代は苦痛でした。

学校の時間割や行催事のスピードに僕が合わせないといけないので。

結局合わせられない僕は、学校に行けなくなります。

 

 

 

でも、僕は学校に対して特別な感情はありません。

僕が公立の中学校について行けなかったことは、僕の問題であって、学校の責任ではないですよ。

 

 

 

サポートセンターで受けた支援の濃さを考えれば、それを納得します。

公教育なんです。

誰もが一律に同じ中身の教育を受ける権利があると思います。

 

 

 

日本の国に期待はしていますよ。

しかし、現実は無理ですよね。

 

 

 

それで、現状を考えると、公教育に任せっきりにするのではなく、育てにくい子どもを授かったならば、親御さんが率先して、子どもの未来を考える必要があります。

 

 

 

国も学校も親御さんと一緒に、未来を託す子どもたちのことを考えて欲しいのですが、現実はそうなってはいません。

将来より良くなるために、国や文科省に声を届ける必要はあります。

 

 

しかし、今はとにかく、目の前の子どものことをまず第一に考えてください。

 

 

大変なことですが、今の日本の教育の状況を見るとそうせざるをえないでしょうね。

親御さんにとっては、孤独な旅路です。

 

 

 

僕は大変育てにくい子どもだったんでしょうね。

そんな子どもを見捨てずに、「なんとかしてあげよう。」と考え続けてくれた親にはただ感謝しています。

 

 

 

変わった子どもの僕は今、幸せだと思っています。

できなかったことがたくさんあったけれど、時間をかけて1つ1つできるようになった。

もちろん、自分が好きなことを特別に伸ばせてもらうこともしてもらった。

 

 

だから、今は自信を持っています。

この世界で生きていけるという自信です。

 

 

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 将来は心疲れた人が立ち寄ってくれるそんな喫茶店をしたいです。

 

 

 

これだけで十分じゃないですか。

 

 

 

そんな僕が今取り組んでいるのが、実世界での就労体験です。

フィリピンで中華料理店で働いています。

具材の在庫整理、買い出し、接客、店舗運営、調理とすべてのことを一通りやります。

 

 

 

大変です。

なんせ中国語とフィリピン語、英語でオーダーを取らなければなりません。

 

 

始まったばかりです。

でも社会参加していることが嬉しいのです。

嬉しいんですよ。

 

 

20年間部屋でじっとしていた時、誰からも必要とされていない自分を惨めだと感じていました。

 

 

今、自分はこの社会で必要とされる人間だと感じることができます。

 

 

ここまでたくさんの人たちからのご支援を受けました。

本当にありがとうございます。

 

 

 

これからも頑張ります。

 

 

 

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