2012年撮影。大学に入学するも大変な日々に不安だらけの俺でした。
10年振りに日本でアルバイトをしました。
物流倉庫での商品管理。
簡単に言うと棚卸し。
1時間前にアルバイト先に到着。
しかし、近くに喫茶店がない。
でもコンビニ発見。
コンビニで遅めの朝食を頂く。
汗拭きシートを購入。
塩飴も購入。
アルバイトに突撃。
ハゲ太郎の予測は大当たり。
古い倉庫にはクーラーはない。
窓という窓が開け放たれていた。
中に入るとサウナの様だ。
下手こいた。
ほんと、俺はまだまだ修行を積まないとダメなのか。
「暑いからね、一生懸命やって倒れられたら困るから、こちらで休憩の指示を出します。」というありがたいお言葉。
アルバイトは5人。
なんかリストラされて来ましたという様な人たちが3人ほど。
あとはおばさんと俺。
「こんなアルバイト選ぶんじゃなかった。」って、文句たらたらおばさん。
それに引き換え、リストラ3人組は気合十分な感じだ。
「それでは始めてください。」という従業員の言葉と同時に、活動開始。
説明を良く聞いていたのか、テキパキとこなしていく3人組。
それに引き換え、僕は頭が混乱している。
正直に言うと、日本語が良くわからないんだ。
あのですね、日本語って最後まで聞いていないと、何をするのかわからないことないですか。
英語って最初に目的がありますよね。
こんな言い方でいいのかな。
で、日本語を最後まで聞いていたら、最初に何を言ったのか僕は忘れてしまうんですよ。
まあ支援を受けて自分はそうだったんだと、気づきましたよ。
だから、日本語は本当に僕にはとても難しいのです。
英語で指示をくれたらどんだけ楽か。
仕方がないので、おばさんに「スミマセン、ワタシキコクシジョナンデス。ソレデ、ニホンゴワカラナイノデス。ヨカッタラ、イッショニタスケテクダサイ。」と言いました。
「あんた、日本人じゃないの?思いっきり日本人顏だけどね。」
「いいよ、わかんないことあったら聞いてよ。」
「サンキューベリーマッチョ、オバサン」
そんで、僕はおばさんと二人三脚で頑張った次第です。
1時間くらいしたら、従業員が「休んでください。」と言いました。
その言葉が終わらないうちに、おばさんはトイレに駆け込んだ。
「あんた、お母さんが外人さんか?どこの国の人なの?」
「フィリピンデス。」
「あああ、あんたのお父さんはフィリピンパブに行って、あんたのお母さんと知り合って結婚したんだね。そうかそうか。」と1人で話して1人で納得しているおばさん。
僕はニコニコ笑うだけです。
「あんた私はあれだがね。旦那が借金こさえて、逃げちやってね。いろんなもん、もっていかれちやったわね。ギャンブルだけはやめときな。」
すみません。アルバイトの印象はおばさんのどうでも良い話ししか覚えていません。
とにかく良くしゃべる。
だあれも、おばさんの話を聞いてくれないんだなと思いました。
「あんたは帰国子女って、いいわね。英語ペラペラなんでしょ。うちの息子は不登校しとるわね。おかあがどれだけ大変なのかなんもわかっとらんから、あかんわ。」
「最近インターネットで調べたかなんか知らんけど『俺は、発達障害だからみんなとうまくやっていけないんだ。」って病気のせいにするのよ。五体満足で産んでやったのに、なんでがんばらないのかね。いい加減なところは旦那にそっくりだ。」
明日に続きます。
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