2月初旬、サポートセンターの青木から僕に電話があった。
「お世話になったテレビ局のディレクターさんから電話があって、8050問題の当事者を探している。できたら顔の映像と声も録音して流したい。それとご家族へのインタビューも欲しいらしい。無理なことだとはわかっていますと言っていたけれど。」との内容だった。
僕は青木の言葉を素早く紙に書いた。
サポートセンターに繋がってわかったことの1つに、僕は耳から聞くことより、目から情報を収集する方が優位だということ。
「少し待ってください。」と返事はしたものの、なんと答えて良いのか、言葉が出なかった。
「でも。うちに繋がるという時点で、8050問題はなくなっているんだよね。8050問題はうちにはないからさ。テレビ局には断っておくよ。」と青木は一方的に僕に話して、電話を切った。
8050問題。
6年前まで僕はその当事者だった。
しばらくその日の仕事を中断してこの問題を考えたかった。
青木とは感じるニュアンスは違うのだ。
僕は元当事者だったから。
8050問題を取り上げた番組がテレビで流されると、世間はどう見るのか。
だいたい2つの見かたに決まっている。
「どうして、両親はそこまで放置していたのか。せめて5020ぐらいでなんとかすべきだっんだ。」
もしくは「当事者は知的か精神障害者じゃないのか。だったら仕方がないんじゃないのか。」
それに対して僕はこう言いたい。
「2つとも違っている。」と。
ぼくの家族の場合。
母はあちらこちらへ、支援を探し続けた。
保健所、精神科医、支援団体。
テレビや新聞に支援の情報が出るたびにその情報を
元に電話をしたり、訪ね歩いて行った。
そんな子どもに効く漢方薬があると聞いては、随分高い漢方薬を買ってくれたことも思いだす。
不自由な足を引きずりながら、僕の為にあちらこちらに出向いてくれた母だ。
親が考えてできることは全てやってくれたのだ。
僕の親は決して無責任な親なんかではなかった。
ただ、僕のひきこもり年数は着実に増して行った。
自分が障害者だと思ったことは一度もない。
30年間家族以外誰とも関わりを持てなかったにもかかわらずだ。
「それではどうしてこんな状況になっているの。」
世の中の多くの人はその存在に否定的だろう。
もしくは、その存在を自分たちの中で消し去ってしまいたいと思っているかもしれない。
自分たちでは理解できない存在に関しては多くの人はそのような行動に出ると思う。
僕は8050問題の元当事者で今は回復者。
そんな僕が昔の僕を思って言えること。
8050問題を正しく理解をしている支援者に50歳を過ぎてようやく出会えたと言う事実。
そして支援を受けて今は世の中と繋がることができたと言う事実。
それだけなんです。
しかし、この問題は誰の視点で語るかによって見方が違ってきます。
今日はここまでしか書けませんでした。
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