発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

私自身が他者に希望を見せられるんだよ。と教えてくれた支援

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私が考えて作ったビデオレター。

それを講演会でヒロさんがお話をするときに使ってもらえないかと頼みました。

ヒロさんはこころよく引き受けてくれました。

 

 

また色々な人にお願いしてこのビデオを見てもらうことにしました。

 

 

たくさんの人の手を渡り、このビデオが多くの支援を集めたのです。

私はまだお会いしたことのない人たちから届けられる支援物資を目の前にして、強い感動を覚えたのです。

 

 

自分の動作が遅く、中学の同級生たちについていけなくな私です。

そんな中学の同級生を恐れていました。

その後、社会を恐れるようにまでになったのです。

 

 

しかし、その思いが崩れていったのです。

「この社会はそんなに悪くない。」って。

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支援物資に手紙が同封されている場合も多かったです。

 

 

「中学から不登校。そして引きこもり20年間家でじっとしていた人が今、まったく知らない人たちの為に一生懸命働いている姿に感動しました。」

 

 

「私の娘は中学校でいじめられてそして不登校になりました。今でも人目を避けて生きています。時々昔を思い出して泣いている娘に対して、何もしてあげられない自分が情けなくて仕方がありません。」

 

 

「今は娘と一緒にこのブログを読んでいます。あなたの頑張りが娘への励ましとなっています!!Joeさんもっともっと娘に希望を与えてください。」

 

 

手紙を読んで泣いた私です。

 

 

20年間引きこもっていた私が他人に希望を見せることができている!!

 

 

 

まさかそんなことができるなんて思いもしませんでした。

少し頭が混乱していました。

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もはや私は昔の私ではない。

そんなバカな?

何か急に大きく変わったのかな。

 

 

そんなに急に変われるとは思っていませんでした。 

 しかし、今思えば私は大きく変わったのです。

 

 

20年間ずーっと居続けた家から私は出たのです。

そして日本から遠く離れた、もう少しで赤道に手が届く所に住むことを決意したのです。

そして誰かの為に役に立ちたいと決断したのです。

 

 

私は自分で決断して大きく変わったのです。

時間は関係ないです。

変わるか変わらないかだけが問題なのです。

 

 

 

 今思い返せば、やったこと全てがプラスに繋がっていました。

無駄なことは何もなかったのです。

 

 

いやいや、さてさて、サポートセンターの底力と申しましょうか。

大方人生を諦めていた私をこんなに変えてくれたんですから。

 

 

 

はははは、あれを出しましょうか。

そうですヒロさんの18番です。

 

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もう少しで次の東大さんにバトンタッチしますね。

 

 

 

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