発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

その人にあわせて支援をする Mr.Joe

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Joeです。

お久しぶりです、みなさま。

お元気ですか?

 

 

 

私はこの4月からフィリピンのリゾート地に移り住んでおります。

立場はリゾート地でのインストラクターです。

サーフィン、ダイビング、釣り、山登りなどのインストラクターです。

 

 

「この2年間を振り返ってください。」とスタッフから言われました。

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  フィリピン初日の夕食です。隣は東大さんです。2016年3月

 

 

あっという間でしたね。

「えっ、もう2年もたったの」という感じです。

 

 

それと良く叱られたな。

これが私の一番の感想ですね。

 

 

20年近く誰とも関わっていないんですからね。

20年前から時計の秒針は止まったままですよ。

 

 

今は40代ですけれど、2年前に青木さんが訪問してくれた時は、中学生のままの私でしたよ。

 

 

そんな私を指導してくださったんです。

忍耐強く。

愛情を持って。

 

 

サポートセンターのスタッフには本当に頭が下がります。

 

 

支援に関してはとても考えられた支援だと思います。

私には自然を絡めた支援をしてくださいました。

 

 

フィリピンに着いた翌日からダイビングの毎日でした。

3日海に入り、1日休む。

その繰り返しでした。

 

 

 

食事も私に配慮して無農薬の野菜料理が多かったですね。

それと健康面でのバックアップも素晴らしかったです。

目、歯、内臓器官、の定期定期なチエックをしに病院に連れて行ってくれました。

 

 

 

それと毎日夕食時の反省会。

これも今までわからなかった「自分」に気づく時でした。

 

 

今私が受けて来た支援に関して何かいうとすれば、「パーフエクト」という言葉を当てはめてみたいです。

 

 

こんな支援を私の小さい時から受けていたら、「もしかしたら、オリンピックに出られたんだしゃないかな。」とか「フアーブルみたいな昆虫学者になっていたかも」とそんなバカな想像をしてみたりもします。

 

 

私は発達障害との診断は受けてはいません。

スタッフによれば、私の年代で診断を受けている人たちは少ないそうです。

しかし、他の人の支援をしてわかりましたが、私も発達障害ですね。

 

 

アスペルガーぽい気質ですよ。

小学校、中学校と集団行動がとても苦手でした。

私にとっては学校はとても苦しいところでした。

 

 

「もう無理だ。」と中学校2年の終わりに学校に行かないと決断しました。

 

 

しかし、学校が全てです。

学校に行かないということはその存在が社会的に抹殺されてしまうようなものです。

今は違うでしょうが。

 

 

「なんとかしたい。」と20年間、狭い自室で独りで考えていました。

でも考えることにも疲れてしまっていた私です。

いつしか死んでしまいたいという誘惑にもかられました。

 

 

その20年間のことを思い出すとやはりとても不安な気持ちになってしまいます。

自分ではどうすることもできなかった20年間でした。

 

 

 

そんな私がもう一度「生きていることは楽しい!!」と思えるまでになったのです。

いや、本当に毎日が楽しい!!

毎日が新鮮です。

 

 

朝、小鳥のさえずりで起きているんですよ !!

 

 

また明日です。

 

 

 

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