僕は東大大学院を終了しました。
そう言うとみんな「すごく頭が良いんですね。」と判で押したような回答が返ってきます。
しかし、「でも30年近くひきこもっていました。」
そう言うと、「えっ、何があったんですか?」や「本当ですか?」という返事をいただきます。
そして、相手の人が戸惑ってしまうありさまが見えます。
困りますよね。
「東大まで出て、30年間ひきこもってしまった人」が目の前にいると。
次に、僕の頭のてっぺんからつま先までじろじろと見る人たちがいます。
「30年間もひきこもっていたんだから、きっと服装もおかしいし、見た目はやはりそれとわかるはずだ。」と思っているんでしょうね。
確かに、青木さんと初めて会った4年前の僕は誰が見てもおかしかったと思います。
同じ服をずーっと着ていたり、グレイや黄土色の服しか着ていませんでした。
自信がないと自然とそうなります。
髪も自分でハサミを使って切っていましたから髪型が変です。
床屋に行くのが怖いんですよ。
行くとしたら、電車に乗って何駅も離れた場所しか無理ですね。
それでもやはり無理だな。
「ご近所ですか?」
「ご家族は?」
そう聞かれるのが怖いのです。
何もないから。
答えようがないのです。
だから自分で髪の毛を切っていました。
同じように病気になったら負けだと思っていました。
歯医者でも同じような会話がなされるので。
また、お金を稼ぐということを一切していない僕が、他の人たちが汗をかいて働いて収めた税金で、医療にかかることにもとても抵抗がありました。
だから絶対に病気にはならないと決めていました。
僕はどうしらいいのか?
何をすればいいのか?
全く身動きが取れませんでした。
月日が経つのはあっという間です。
30年間同じ日々が続きました。
4年前にこんな状況でも希望はあるということがわかり、それから社会参加するために毎日頑張っています。
30年間のひきこもりに終止符を打ったのです。
時々、朝目覚めると、「回復している夢を見ていただけなのでは。」という強い不安が襲ってくることがありました。
「大野です!!青木さん、いますか?」
目覚めたあと、慌てて携帯を取り出して、青木さんの携帯に、「今を確認するため」に電話したことが何度かあります。
今になって初めてあかすことです。
今は、フィリピンの地で新しく人生をやり直しているのです。
今年の後半は就職活動をフィリピンでします。
そして、来年からは仕事につきたいと願っています。
56歳になって初めての就職です。
先日、学校の授業が終わって、自分の部屋に帰る途中。
名古屋駅前の大きな交差点を渡りました。
退社時間と重なってたくさんの人、人、人。
交差点内でたくさんの人たちとすれ違う瞬間。
「僕もみなさんと同じ一員なんですよ !!」
そう叫びたい自分がいました。
そんな感情が僕を支配したのです。
恥ずかしい話、泣いてしまいました。
僕はひきこもっていません。
希望を持っています。
働きたいのです。
2017年6月13日。
僕は生きています。
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