「発達障害者として生まれてきてよかったか?」
以前僕がおこなった講演会の後で、聞いてくださった方から質問されました。
その時は「わからない。」だった。
その「わからない。」は「考えがつかない。」という意味だったと思う。
今、同じ質問をされても答えは同じです。
「わからない。」です。
しかし、6年前の講演会の時とは感じ方が違います。
大きな違いは、「他人様と繋がった。」ということです。
そして「その他人様は、僕を認めてくださっている。」ということです。
僕はIQが低くて、小、中と学校にもほとんど行っていなかった。
だから勉強は恐ろしいほどできなかった。
「死んでも勉強なんかするものか」が僕の口癖だった。
そんな僕は日本からフィリピンに移り住んだ。
そして、たくさんの優しい人たちに囲まれながら励まされ続けた。
いつしか「高校を卒業してみたい。」
そのために「勉強を頑張ってみよう。」となった。
しかし、そこから大変な目にあう。
もちろん自分が選んだ道なんだけれど。
「わからない。わからない。何もかもわからない。」
「僕は頭が悪い。みんなより劣っている。」
一時そんな考えが僕の全てを支配していた。
しかし、周りで僕を支えて励ましてくれた人たちの思いが僕の頑なな心を打ち崩したんだ。
僕は、「やってやる。何がなんでも高校を出てやる。それしかない。」
そう決意した。
そして、それから7年間という月日が流れた。
僕は今年の春、フィリピンの大学を卒業した。
ひとつのことをやり遂げたんだ。
今までの僕が、決してできそうもなかったことをやり遂げた。
その過程はこのブログで書き綴ってきた。
7年間。
それは僕の戦いというより、たくさんの人たちとの勝利のような気がする。
僕一人では立ち向かうことはできなかったんだ。
定型発達だったらこんな体験をできただろうか。
そう思うと、この体験は貴重だと思いました。
しかし、僕には大変さが未だにあるのです。
少し前から、自分の大変さを皆様にお伝えしてきました。
この大変さは、これからも僕を悩ませ続けるでしょう。
職場での人間関係。
奥さんや子どもたちと心を通わせることができるのか。
「発達障害者として生まれてきて、良かったですか?」
「わからない。」
それが今でも僕の答えです。
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